「よろしかったでしょうか」は間違い?|なぜ「た」を使うの?

「よろしかったでしょうか」

「よろしかったでしょうか」??

コンビニや飲食店で、こんな言い方をよく耳にします。

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか。」

「よろしいでしょうか」なら分かります。しかし、なぜ「よろしかった」と過去形にするのでしょう。

「今、確認しているのだから『よろしいでしょうか』でいいのでは?」と思う人も多いでしょう。

よろしいでしょうか
→ 今、相手に「これでいいですか」と確認する。

よろしかったでしょうか
直前の自分の理解・判断が正しかったかを確認する。

つまり、「よろしかったでしょうか」の「た」には、それなりの理由があります。

「よろしかったでしょうか」比較

場面言い方意味
これから確認するこちらでよろしいでしょうか今、これでいいですか
聞いた内容を再確認するブラックでよろしかったでしょうかさっき私はそう理解しましたが、合っていますか

なぜ「よろしかった」と過去形にするの?

ポイントは、話している人の意識がほんの少し前に戻っていることです。

たとえば、客が店員にこう言ったとします。

客「コーヒーを一つ。ブラックでお願いします。」

しばらくして店員が確認します。

店員「ブラックでよろしかったでしょうか。」

このとき店員が確認しているのは、「今ブラックでいいですか」だけではありません。

「さっき私は『ブラック』と理解しました。その理解で合っていましたか。」

という確認です。

「よろしかったでしょうか」= 直前の自分の理解・判断が正しかったかを確認している。

これが「た」を使う理由だと考えると、とても分かりやすくなります。

「た」は昔のことだけを表すわけではない

学校では「た=過去」と習います。

もちろん、それが基本です。

「昨日、京都へ行った。」

の「た」は、明らかに過去を表しています。

しかし、会話の「た」は、昨日や何年も前のことだけを表すわけではありません。

ほんの数秒前のことでも、いったん成立したことを振り返れば「た」が使えます。

「お名前、田中さんでしたね。」

「次の会議は3時でしたよね。」

なども同じです。

今の名前や今後の会議について話しているのに、「でした」を使っています。

これは、以前聞いた自分の記憶・理解を振り返って確認しているからです。

「よろしいでしょうか」との違い

「こちらのお席でよろしいでしょうか。」

これは、その場で初めて「ここでいいですか」と相手の意思を確認しています。

一方、

「窓側のお席でよろしかったでしょうか。」

なら、少し前に聞いた希望について、

「窓側と伺ったと思いますが、それで合っていますか。」

というニュアンスが出ます。

表現中心となる感覚
よろしいでしょうか今、これでいいですか
よろしかったでしょうかさっき私はこう理解しましたが、合っていますか

では「よろしかったでしょうか」は正しいの?

「よろしかったでしょうか」は、しばしば「バイト敬語」「間違った敬語」として批判されます。

しかし、「よろしかったでしょうか」という形そのものが間違いなのではありません。

少し前に聞いたこと、確認したこと、決まったことを振り返って確認するなら、自然に使えます。

たとえば、

「コーヒーはブラックでよろしかったでしょうか。」

「ご予約は10月3日でよろしかったでしょうか。」

などは、以前聞いた内容の再確認なら不自然ではありません。

変に聞こえるのは「初めて聞く」とき

一方、まだ何も聞いていないのに、いきなりこう言われるとどうでしょう。

店員「お支払いは現金でよろしかったでしょうか。」

客「……?」

客からすれば、現金で払うとはまだ一度も言っていません。

それなのに過去形を使うため、少し妙に聞こえます。

この場合なら、

「お支払いは現金でよろしいでしょうか。」

のほうが素直です。

一度聞いたことを確認する
→ 「よろしかったでしょうか」も自然

初めて相手の意思を聞く
→ 「よろしいでしょうか」が自然

なぜ店員は「よろしかったでしょうか」をよく使うの?

それでも接客では、「よろしかったでしょうか」をよく耳にします。

理由の一つは、「よろしいでしょうか」よりも一歩引いて確認している感じが出るからでしょう。

直接「これでいいですか」と相手に迫るよりも、

「私はこう理解していますが、合っていますか。」

という形にすると、話し手側の理解を確認する表現になります。

そのため、相手の意思を直接問いただす感じが弱くなり、接客場面では丁寧に感じられやすいのでしょう。

ただ、その便利さから、本来は振り返る必要のない場面にまで広がり、「変な敬語だ」と感じる人も出てきたと考えられます。

「バイト敬語だから間違い」では説明できない

「よろしかったでしょうか」をすべて「間違った日本語」としてしまうと、本当の使い方が見えなくなります。

大切なのは、「た」が何を振り返っているのかを見ることです。

一度聞いた内容を振り返っているなら自然。

何も聞いていないのに使えば、不自然に感じることがある。

このように考えれば、「正しい・間違い」の二択より、ずっと分かりやすく整理できます。

まとめ

「よろしかったでしょうか」の「た」は、単に昔の出来事を表しているわけではありません。

「直前の自分の理解・判断が正しかったか」を確認している。

よろしいでしょうか
→ 今、これでいいですか。

よろしかったでしょうか
→ さっき私はこう理解しましたが、それで合っていますか。

ですから、「よろしかったでしょうか」は、それ自体が間違った日本語なのではありません。

ただし、まだ何も聞いていない初めての確認なら、「よろしいでしょうか」のほうが自然です。

「た=昔のこと」とだけ考えるのではなく、「いったん成立した理解を振り返る『た』」と考えると、この表現の意味が見えてきます。

「よろしかったでしょうか」まとめ

以上です。

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