日本語はなぜ「なる」の言語なのか――「する」と「なる」の違い

「なる」「する」

「ナル型言語」日本語

 言語学者の池上嘉彦は、日本語を「ナル型」の言語としてとらえました。「日本語は『なる』の言語」と聞くと、少し不思議に思うかもしれません。しかし、私たちが普段使っている日本語を見ると、その意味がだんだん見えてきます。
 そして、この「なる」の特徴を考えると、「なる」と「する」の違いも、とてもわかりやすくなります。

「明るくなる」と「明るくする」

まず、次の二つを比べてみましょう。

① 部屋が明るくなる

② 部屋を明るくする

①では、私たちは部屋がどう変化したかを見ています。一方、②では、誰か、あるいは何かがその変化を起こしたことを見ています。

表現どちら側から見るか
なる変化する側から見る
する変化を起こす側から見る

これが「なる」と「する」の基本的な違いです。

「なる」「する」簡単比較イラスト

「する」の主体は人とは限らない

「する」というと、人が意志をもって何かをするイメージがあります。しかし、必ずしもそうではありません。

雨で道路が滑りやすくなる

雨が道路を滑りやすくする

後の文では「雨」が道路の変化を引き起こしています。当然、雨に意志はありません。つまり、より正確に言えば、

「なる」=変化する側から見る
「する」=変化を引き起こす原因側から見る

という違いなのです。

実は「自動詞・他動詞」も同じ見方

 ここまで来ると、日本語を勉強した人なら、何かに似ていると感じるかもしれません。

ドアが開く。 ← 自動詞

ドアを開ける。← 他動詞

「開く」はドアの変化をドアの側から見ています。
「開ける」は、その変化を起こす側から見ています。
 つまり、見方そのものは「なる/する」と同じです。

 変化する側から見る変化を起こす側から見る
なる/する部屋が明るくなる部屋を明るくする
自動詞/他動詞ドアが開くドアを開ける

「お茶が入りました」は、とても日本語らしい

たとえば、誰かがお茶を入れて持ってきたとき、日本語ではよく、

「お茶が入りました。」

と言います。もちろん「私がお茶を入れました」でも文法的には正しいのですが、普通は「誰が入れたか」をわざわざ前面には出しません。
同じような表現はたくさんあります。

  • 準備ができました
  • 予定が決まりました
  • 会議が始まりました
  • 会議は中止になりました

共通しているのは、「誰がそうしたか」よりも「結果としてどうなったか」を前面に出していることです。「なる」を好むことと、自動詞を好むことは、別々の現象のように見えて、実は同じ日本語のものの見方につながっているのです。

「ことにする」と「ことになる」も同じ

この見方をすると、学習者が迷いやすい次の違いも理解しやすくなります。

来年、日本へ行くことにしました

来年、日本へ行くことになりました

「ことにする」では、自分が決定をする側にいます。
「ことになる」では、決定の過程よりも、結果として「そう決まった」ことに注目しています。ここにもやはり、

する=原因・働きかけの側
なる=変化・結果の側

という同じ関係があります。

なぜ日本語は「なる」の言語なのか

 日本語では、行為者をはっきり示して「誰が何をした」と表現するより、ある出来事が起こり、結果としてどういう状態になったかを表す言い方がよく使われます。そういう意味で、池上嘉彦氏は日本語を「ナル型」の言語として論じたのでしょうんs。

なる → 変化する側・結果側から見る

する → 変化を起こす側・原因側から見る

自動詞と他動詞にも、同じ「見る方向」の違いがある。

「なる」と「する」を単なる文法ルールとして覚えるのではなく、同じ出来事をどちら側から眺めているのかと考えると、日本語の表現がずっと理解しやすくなります。

「なる」「する」まとめ

以上です。

参考:池上嘉彦『「する」と「なる」の言語学―言語と文化のタイポロジーへの試論』大修館書店、1981年。

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