〔読解〕鄭成功と日本、中国、台湾。〔17世紀初頭の台湾情勢〕

アムステルダム港のオランダ船(17世紀)

タイトル写真は17世紀のオランダアムステルダム港を描いたもの
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 さて、前回は1630年平戸生まれの鄭成功(田川福松)が父・鄭芝龍のいる泉州へ旅立つシーンでした。ここで、その後の鄭成功の人生を追う前に、当時の台湾周辺の情勢をざっと概観しておきましょう。

台湾海峡波高し ~オランダ時代のはじまり~

 ポルトガルやスペインのアジア進出に後れをとったオランダは、1596年11月に、今日のインドネシアのジャカルタ(オランダ人はバタビアと改名)に到着した。そして1602年3月に、新たに獲得した植民地を経営する特許会社、人類史上最初の株式会社といわれる「オランダ連合東インド会社」を設立し、アムステルダムに本社をおいた。
 オランダはバタビアに拠点を確保すると、ただちに中国や日本との貿易をもくろみ、そのための中継基地の獲得に乗り出した。バタビアに本拠をおくオランダ艦隊が、台湾海峡に連なる澎湖列島をめざし、その主島である澎湖島に上陸したのは1603年のことで、これが西ヨーロッパ勢力が台湾の地に足を踏み入れた最初であった。

17世紀東アジアの各勢力

17世紀東アジアの各勢力(明帝国は海禁政策で沿海貿易を非合法化したため、各勢力は積極的に中国周辺で拠点を探し密貿易を行った)

 澎湖島には元王朝時代に巡検司がおかれていたが、その後、明王朝は1388年にこれを廃止し、澎湖列島を放棄した。しかし、オランダ艦隊の到来の報を知ると、明王朝はただちに軍勢をくりだし、澎湖列島から追いだした。澎湖島の占領に失敗したオランダ艦隊は、ポルトガルの支配下にあるマカオを襲うが失敗したため、1622年7月に再び澎湖島の占領をはかり、こんどは成功した。
 澎湖島に上陸したオランダ艦隊は、住民と寄港中の漁船の漁師を動員して、馬公(マコウ)に要塞を構築し、バタビア――馬公――中国――日本を結ぶ、中継貿易の拠点とするとともに、台湾海峡の制覇を試みた。これに対して明王朝は翌1623年9月に、中国の東南海岸に海禁令(船舶の出入りを禁止する命令)をしき、1624年1月には澎湖島を攻撃した。そして8ヵ月に及ぶ攻防のすえの同年8月に、明王朝はオランダ艦隊の澎湖列島撤退を条件に、オランダの台湾占領を認めるとともに、オランダとの貿易に同意するという停戦協定案を提示した。オランダにしてみれば、思いがけない好条件であった。

「台湾 四百年の歴史と展望」伊藤潔 中公新書P7 から

・東インド会社:西欧諸国がアジアとの貿易のため相次いで設立した。イギリスは1600年、オランダは02年、フランスは04年に設立。
・もくろむ(目論む):物事の実行を目指し、考えをめぐらす。計画する。「一攫千金をもくろむ」
・澎湖諸島:台湾海峡中にある群島。日清戦争により日本領土となったが、第二次世界大戦後、中国に返還された。
・くりだす(繰り出す):①次々に送り出す。「大軍をくりだす」②大勢で出かける。「花見にくりだす」

ゼーランディア城とプロビンシア城

 オランダの台湾における拠点がゼーランディア城とプロビンシア城です。

 澎湖島から撤退したオランダ艦隊は、そのまま台湾をめざし、1624年8月26日に台湾南部、今日の台南付近の安平(アンペイ)に上陸した。オランダ連合東インド会社はバタビアに派遣した総督を通じて、台湾長官を任命した。台湾長官は各地にあるオランダ商館の商館長とは違い、貿易業務に加えて植民地行政の責任でもあった。
 台湾に上陸すると、オランダはただちに最初の城塞の構築に着手し、8年余の歳月をかけてゼーランディア城(今日の安平古堡)を完成した。ゼーランディア城着工の翌1625年には、赤嵌(セキカン)にプロビンシア城(今日の赤嵌楼)の構築をはじめた。

ゼーランディア城(2026年2月撮影)

ゼーランディア城(2026年2月撮影)

 この二つの城はともに軍事的な意味においての要塞の性格をもつが、ゼーランディア城は対外貿易の役割がより大きく、プロビンシア城はオランダ連合東インド会社の事務所や宿舎、倉庫として用いられた。
 オランダは明王朝と違って、台湾領有の価値を十分に認識しており、中継貿易の拠点としてだけでなく、その肥沃な土地と物産にも着目し、植民地としての価値も認めていた。そのためオランダの台湾経営は、最初からきわめて意欲的であった。

(中略)

プロビンシア城(2026年2月撮影)

プロビンシア城(2026年2月撮影)

 オランダはこの二つの要塞、ことにプロビンシア城の周辺に、中国からの移住民を居住させて城下町を築き上げ、それが今日の台南市の発展の基礎となっている。この堅牢な城砦を中心に、オランダの支配地域は次第に拡大してゆく。
前掲書P11

ゼーランディア城、プロビンシア城 訪問記録

構築:構えきずくこと。建設または土木工事を行うこと。「陣地を構築する」「論理を構築する」
肥沃:地味が肥えて、作物がよくできること。「肥沃な大地」
堅牢:堅くてじょうぶなこと。「堅牢な造本」

以上です。

続きます。

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