〔タイトル写真は、オランダ台湾長官ノイツが浜田弥兵衛らにより捕らえられる光景〕
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鄭成功(鄭森)六歳
前回同様「怒涛のごとく」(白石一郎)からです。1629年、鄭成功(鄭森)は6歳、台湾ではオランダ支配が本格化していく頃、有名な浜田弥兵衛事件(タイオワン事件)について言及されています。
田川福松は六歳になっていた。
花房道場の帰路、福松はいつもの通り城下町を通って歩く。福松から一歩遅れて背丈の高い少年がついてくる。
母親がおマツの小女をつとめていたおきちの弟の虎之介である。きちは良縁に恵まれて長崎へ去ったが、実弟の虎之介を遺していった。おマツはきちの好意をよろこび、福松の従者兼友人として虎之介を厚遇した。
虎之介は福松より四歳上の十歳である。
二人は連れ立って城下町を歩く。城下町といっても平戸は国際貿易で栄える町。人々の多くは海岸通りに集まって住む。
宮の前と呼ばれる繁華街も平戸港の海岸の近くにある。
しかし今はその繁華街が寂れていた。
オランダ商館が閉鎖され、オランダと日本の商品取引が一時中断してしまっているからだ。
原因は台湾にあった。長崎の貿易商人末次平蔵の派遣した御朱印船が台湾でオランダ人と諍いを起こし、朱印船の船頭の浜田弥兵衛が部下を引き連れてオランダの城砦に乗り込み、オランダの長官を捕虜として、城砦を乗っ取ってしまったのである。
浜田弥兵衛は長官を解放する条件として、五人のオランダ人を人質に取り、日本へ連れて帰ってきた。
これが昨年、寛永五年(1628年)のことである。
以来、日本とオランダの友好関係は崩れ、平戸のオランダ商館は閉鎖されてしまった。

平戸オランダ商館(2026/1/26撮影)
・良縁:両家の家柄も似合い、幸福な家庭が築けそうな、いい縁組。
・厚遇:細かいところにまで気を配り、相手に不快感を与えないようなもてなしをすること。(⇔ 冷遇)
・寂れる:景気が悪くなって(魅力がなくなって)人が集まらなくなり、にぎわいの失われた状態になる。
・諍い(いさかい):日常茶飯事のように繰り返される、ちょっとしたけんか。〔多く、口げんかを指す〕
・乗っ取る:「乗り取る」の変化。奪い取って自分の物とする。(旅客機をー、会社をー)
・人質:約束を守る保証として相手方に一時預けておく、自分の身内の人。
(以上、新明解国語辞典第八版語釈)
台湾高校教科書から
オランダ台湾統治と浜田弥兵衛事件(タイオワン事件)
浜田弥兵衛事件について台湾の高校歴史教科書には以下のように記載されています。
・オランダが台湾の統治者に
オランダは1624年、大員でゼーランディア城(Zeelandia)を建て、台湾統治と対外貿易の本拠地とし、また後に台江内海の対岸にある赤崁地方にプロヴィンディア(Provintia)という市街地を作った。オランダの台湾統治の最高責任者は「長官」(gouverneur)と呼ばれた。その上司はバタビア総督だった。
オランダにとって台湾統治の最大の目標は、ここに中国や日本との貿易中継点を築き、国際貿易ネットワークの一部分にすることだった。

ゼーランディア城(1624年)
・オランダと日本

浜田弥兵衛事件を描いた「蘭人異聞録」
日本の商人はオランダが植民地を築く前から台湾で活動していた。そのためオランダ当局が日本商人に課税しようとすると、自ずと紛糾が生じた。そのもっとも深刻な事例が浜田弥兵衛事件である。
1626年、浜田弥兵衛(はまだやひょうえ)が来台し、オランダ当局と衝突した。そして1628年に再度来台すると、武器と火薬を差し押さえられ軟禁された。 浜田はオランダ長官のノイツ(Pieter Nuyts,1598-1655)を人質に取り脱出に成功し、日本は報復としてオランダ商館を閉鎖した。
オランダ人は何度も訪日して協議を求めたが果たせず、1632年にノイツを日本へ引き渡したことで、ようやく日本での貿易活動の再開が認められた。抑留されたノイツが釈放されるのは1636年である。
日本の鎖国後、台湾で活動する日本人は極めて少なくなり、オランダと日本の衝突は二度と起こらなかった。そして日本との貿易特権を得たオランダは、欧州諸国の中における対日貿易での勝者となった。
・自ずと:自然とそのようになるさま。ひとりでに。自然に。「自ずと知れ渡る」
・紛糾:物事がもつれて、まとまらないこと。「議論が紛糾する」
・差し押さえ:警察・検察庁その他、国の執行機関が、証拠物などを強制的に取得・取り上げること。
・軟禁:ゆるやかな監禁。身体は拘束しないが、外部との交渉・接触を許さない状態におくこと。「自宅に軟禁される」
・抑留:おさえとどめておくこと。特に他国の人や船舶を強制的に自国内にとどめておくこと。
・日本の鎖国:江戸幕府が、キリスト教禁止を眼目として、中国・オランダ以外の外国人の渡来・貿易と日本人の海外渡航を禁じたこと。(幕府は四つの口(長崎・対馬・薩摩・松前)を通して国際関係を築いていた。)
以上です。
続きます。
浜田弥兵衛事件を描いた漫画「蘭人異聞録」↓


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