失敗しないための、たった一つの方法

失敗は成功のもと
16級の毛蔚さんは九州外国語学院へ留学。卒業後、直接日本の企業に現地採用で入社、関西で頑張っておられます。

日本へ

日本に到着!

日本に到着!

 2019年10月4日金曜日午後2時30分、韓国経由の乗り継ぎ便でようやく日本の福岡空港に到着しました。私は友人二人と一緒でした。あの日三人は、合わせて9個のスーツケースをころがし、3人ともリュックサックを背負っていました。重い荷物のため不自由な体とは裏腹に、心の中には、足下にあるこの日本という国への好奇心がいっぱい広がっていたのです。

 あらかじめ準備しておいた携帯電話のカードを挿入し、両親や友人に連絡、無事到着の知らせを済ませた後、語学学校の先生にも連絡。3人でタクシーを呼んで、初めて降り立った海外に、心躍らせワクワクした気持ちで宿泊先に向かい、日本での留学生活が正式にスタートしました。

 九州福岡に到着したばかりの頃は、目に触れるものすべてが、新鮮で、また本当に新品のようにピカピカ光って見えました。バスや地下鉄もきれい、アパートのエレベーターにまで、いちいち感動していました。日本らしい可愛いデザート、いろいろな野菜や果物、中国ではあまり見ないカラスの大群。そして、元気で活発な日本人の学生、自分で買って組み立てる家具、自分で作る料理、全部写真を撮っておいて友達と共有したいという衝動にかられました。そして噂通り、たまに地震があったり、台風が来たり、中国の生活とは何もかもが違っていて、その違いに「魅入られる」毎日でした。

語学学校での勉強の毎日

九州外国語学院

九州外国語学院

 語学学校が始まると、そうそう魅入られてばかりもいられない生活が始まりました。日々の日本語学習に加えて、卒業論文と日本語能力試験のプレッシャーものしかかってきました。そこに、卒業後の勉強の方向性を考えること、さらには、親の負担を少しでも減らすための寿司屋でのアルバイトなどなど。

 自分で解決しなければならない多くのことが、日本での生活を単なる観光客の生活から、本当の生活に変えていきました。教科書の基礎を学び、それを暗記するという従来の勉強はもちろん、将来のために、自分に必要な情報やデータを見つけ出して整理すること。そして日常生活そのものに大切な情報を受け取るために、日本語を駆使することまで、全て日本語によって行うことで、日本語を学ぶことは、試験のためだけでなく、日常生活に不可欠なツールとなりました。

悩み続けた日々

悩む私 しかし、私は本来、外国語を学ぶのがあまり得意ではなかったような気がします。私にとって暗記物はとても苦労することで、私がN1に合格するかどうかを心配している間に、同級生たちはとっくにN1の関門を通り抜け、大学院受験の準備を始めていました。

 ようやくN1試験に合格し、語学に目途がついたときも、その次は芸術分野の勉強をさらに進めていこうと思いましたが、その勉強でも自分の能力のなさに打ちのめされることも、しばしばありました。毎日夜遅くまで論文などいろんな課題の見直しをしていたことが記憶に残っています。自分では精一杯やっているつもりでも、満足のいく回答が得られないことの方が多かったのです。

 そんな私は、語学学校の2学期目には、夜になると、自分が悩み込み、センチメンタルな気分に陥ることが多かったです。おまけに、新型コロナウイルスのため、学校の時間割は常に変更され、出入国方針も日々変更されました。中国に帰るという選択も当時は贅沢なことでした。そして、選んだ大学院の入学試験に失敗を重ね、自分への疑念もピークに達しました。

不合格、でも帰国はしない!

 今年1月、最後の志望校から不合格通知が来ました。そして、両親とじっくり話しました。私は自分の能力を明確に把握しておらず、なおかつ、ベストを尽くしていなかったので、大学院で勉強する資格はないということです。その結果をすなおに受け入れなければならないと思いました。私は落ち込み、国に帰りたいと思っていました。

 しかし、その時何の成果も得られないまま帰国すれば、私は失敗した人間として中国に帰ることになります。私は親のお金を無駄に使ってしまったことになります。期待してくれた親に、大変申し訳ない気持ちでいっぱいになることでしょう。

 私は日本にとどまることにしました。失敗とは、諦めた時に失敗になるのです。成功するまでがんばり続ければ、失敗は成功のための一つのステップに過ぎないのです。

悲しみを笑顔に変えて再出発

悲しみを笑顔に変えて再出発

 幸いなことに、国際貿易の仕事をしていた兄からも、私が日本で仕事をすることを勧めるメッセージが届きました。私は、日本に残り直接企業に就職し働くことを選びました。

 今思い返してみても、大学院に合格できなかった悔しさは尽きません。確かに、もしこの先チャンスがあれば、再度大学院入学にチャレンジするかもしれませんが、それはあくまでも将来の可能性の一つにすぎません。

会社員として再スタート

 私は仕事のために新しい生活を始めました。6回チャレンジしで日本の運転免許証も取得しました。3月に語学学校の卒業式に出席した後、共に福岡の地に降り立った友人たちと別れ、私は一人北九州市に引っ越しました。

プラスチックリサイクル 4月から北九州市に本社のある会社に入社し働いています。仕事内容はプラスチックのリサイクルに関するもので、私の役割は、現場での人員や物品の管理。そして海外取引のための輸出入の交渉です。プラスチック業界は、品目の多さ、価格の変動などに慣れるのが一苦労でした。また、お客様とのコミュニケーションなども、学校では習わなかったようなことが次々に発生し、処理していくことが大変です。私はもとより化学が苦手で、当然外国人として、日本の社会における基本的なマナーもあやふやなのですが、商談のために毎日勉強して改善しながら対応していくことが求められます。そして常に、市場の動向をチェックし、新しい技術を調べ、新製品をチェックしながら、国内外のお客様とコミュニケーションをとっています。

 国際貿易というと、ハイグレードな仕事をやっているように聞こえるかもしれません。が、実際には新人の私はずっと見習いのような存在で、緊張しながら仕事をこなしています。ただ上司や兄から期待してもらっているという自覚もあります。その期待があるからこそ、毎日会社のために頑張ることができます。ただそのためにハードワークが続いたりして疲れも溜まります。しかし、この疲れには心地よい手応えがあります。

禍転じて、幸福をつかもう。

 仕事に打ち込むことが、自分の心を支え、親を安心させることができるようになりました。いろいろな人と出会い、自分の日本社会で生きていくための基礎ができたと感じています。今、私は少しずつ責任を負い、会社の利益のために戦っています。

 次は、もっと自分のことを考えて、自分の人生と仕事の主人になっている必要があるかもしれません。

がんばり続ける!

がんばり続ける!

失敗しない方法 この原稿を書いている時点で、私は日本に来て792日目であり、2年間正月に帰っていません。コロナが悪化している今、いつになったら家族や友人と再会できるのかわかりません。幸いなことに、コロナ禍後、私たちはネットを介して近くにいるという感覚を、以前より強く持つことができるようになりました。コロナという禍も決して単なる禍におわらせたくないものです。

皆さんのご健康とご多幸を、心よりお祈り申し上げます。

以上です。

 

 

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