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人の存在を消そうとする日本語

日頃、日本語を使っていてもなかなか気づきにくいのですが、日本語には「人の存在を曖昧にしよう、できれば消してしまおう」という力が働いているようです。そんな例をいくつかご紹介します。
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黄檗山萬福寺は江戸期の超一流外国語学校

当時、日本で中国語を学べるところは二カ所しかない。一つは長崎、もうひとつは、宇治の黄檗山萬福寺である。黄檗山はすべてが中華の小宇宙であった。黄檗の宗祖、隠元は明朝が滅亡するなか、この国に渡来してきた。彼は中華のすべてを渡来船にのせて東の島国運んだ。
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中国赴任の心構え

15年程度中国関連の仕事をしています。2012年~2017年の5年間については、中小企業の現地子会社のトップとしてほぼ100%運営を任される形で仕事をしていました。自分のような立場で中国で駐在員としてやってくる人へのアドバイスのようなものを残しておこうと思って書きました。
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うつりゆく日本語をよむ

例えば宇宙船に乗っていて、船外を日本語という星が高速で通り過ぎて行ったからと言って、「日本語は高速で移動している」と言えないのと同じである。自分も相手も動き、その距離も変化するなら観察は難しい。日本語の変化を同時代で語ることはかくも難しい。
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いつか鐘は鳴る(西野亮廣)

 内容は理解できないにしても、彼ら日本の新しい世代を切り拓いていってくれるであろう人々の特徴は、人を納得させる話し方に長けているということであることがわかる。であるからこそ、多くの若者の共感を呼び、やりたいことを実現させる力に結び付けられるのであろう。
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旅は人生、そして人生は仲間と歩く旅。 京都から

 2021年もあっという間に終わりを告げようとしています。コロナ禍の続く中、ソーシャルディスタンスの確保や、学校でもオンライン授業などが多い影響もあり、人と人との距離は文字通り遠くなり、コミュニケーションが希薄になりつつあるように感じます。
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「何もしなくても人生は終わる」(森岡毅)

同郷の著名人で森岡毅さんというマーケッターがいる。名前を知らない人でも、USJジャパンの業績を急回復させた人といえば、たいていの日本人は「ああ、あの人ね。」とわかるだろう。伊丹高校から神戸大学に進み、1996年卒業されている。1995年3回生で阪神淡路大震災を経験されたことになる。
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失敗しないための、たった一つの方法

大学院入試には失敗しました。しかし、私は日本にとどまることにしました。失敗とは、諦めた時に失敗になるのです。成功するまでがんばり続ければ、失敗は成功のための一つのステップに過ぎないのです。
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コロナ禍の開始。シルクロードの終着駅から

竹内峠を越え、ようやく下り坂になりしばらく行くと目の前に大阪平野とその向こうにぼんやりとした水平線らしきものが見えた。その時、中国にいる日本人の友人からSNSで連絡が入った。中国で医療用マスクが不足しているので寄付を受け付けているというニュースだった。
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ギブミーチョコレートと叫びたい。(ハーシーズチョコに思う)

大学構内のスーパーにハーシーズチョコレートが売られていたので買ってみた。このアメリカメーカーのチョコレートを食べるのは初めてである。昭和30年代生まれの私にとってチョコレートと言えば、森永であり、明治であったから。
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