高野山 總持院で法話を聞く

法話を聞く

總持院、宿坊の朝

 宿坊に泊まると、「朝のおつとめ」というものに参加できる。朝のおつとめというのは、お寺で一日の最初に行われる念仏・供養などのルーティーン行事。宿泊客がいると住職の法話が聞ける。法話というのはお寺の弟子とかではなく、一般の人々にする話。今でいうと大学の市民講座のようなものである。今回その法話が楽しみで總持院に泊まった。

早朝の總持院庭園

早朝の總持院庭園

 朝6時は暗い。外はしんしんと雪が降っている。なかなか良いシチュエーションと思うかもしれないが、本堂はかなり寒かった。約1時間読経を聞き、身体が冷え切って麻痺してきた頃、法話が始まる。20分ぐらいのお話だったがあっという間に感じた。住職の口調そのままに要約してみる。

總持院 朝のおつとめの様子

總持院 朝のおつとめの様子

法話(要約)

 寒いですな。慣れというんかな。私は全然寒くありません。というか私がこのお堂に合う体になったんでしょうな。人は変わりますからな。変わるいうたら、みなさん昨日の自分と今日の自分とは同じやと思たはるでしょ。これが違うんですな。気持ちやないですよ、物体としてのあなたはもう昨日のあなたやない。こら科学の話ですわ。人間の細胞いうのんはどんどん死んでどんどん生まれ変わっとるんですな。

 がん細胞は困りまっせ。細胞の中のミトコンドリアっていうのを食べてしまうんですよ。すると不死の細胞になって死んで生まれ変わるということがない。だからずんずん増えて大きくなって最後身体全体がいてまいますわな。

よその宗教

 今日のテーマはね、ずばり「宗教」です。皆さん宗教ってどういうもんか、言えますか。いきなり聞かれてもわからん?まあ、そうでしょうな。

 例えば、原理主義とか言いますでしょ。なんか、こ難しいね。でも要はね、これ信じなさい、こういう原理に基づいて行動してちょうだいよ。そうしたら天国行って幸せになれますよ。その原理がここに書いてますわ。ほれ旧約聖書、って言うてんのがユダヤ教。いや違う違う。そういう考え、つまり原理では天国けませんよ、こっちですよと原理として新約聖書を出してきたのがキリスト教。あとの宗教もほとんど同じです。「コーラン」ってありまっしゃろ。あれがホンマの原理でっせというのがイスラム教、という具合でいろんな宗教ありますけど、原理がちょっとずつ違うだけで根っこは同じ。死んだ後、どないしたら幸せになるかを考えとる。

 死んで幸せになれる原理を出してくるのが宗教ですわ。

仏教

法話中 実は仏教は全然ちがいますねん。原理なんかあらへん。それどころか、死んだ後のことなんか何にもわかりませんねん、というのが仏教。そもそも地獄や天国なんかあるわけないやないですか。地獄に落ちるとか天国に昇るとか言うけど、この下いくら掘ってもマントルとか融けた鉄とかあるだけでしょ。上の方でも、ほらついこないだ前沢勇作さん行って来はったでしょ。いくら見回しても天国なんかどこにもありませんわ。

 皆さん誤解してますけど仏教のお経には死後の世界とか書いたもんなんかありませんで。いや実は一つだけあるんですけど、まあ、書いてあることは嘘でしょうな。だって死んでどうなるなんて生きてる人がわかるわけないやないですか。

 お大師さん(空海)もこう言うたはりますねん。

生まれ生まれ生まれて生の始めにくらく、死に死に死に死んで死の終わりにくらし。

 「くらい」いうのは冥王星の冥という字書きます(冥い)。まったくわからんということです。輪廻転生っていいますやろ。過去はどうやった?空海も前に何かの形で生きてた、その前も、またその前も生きた。それが「生まれ生まれ生まれて」ですな。でもその時、何やったかなんていくら考えてもわからへん(冥い)。未来は?お大師さん死んだ後も、何かになってまた死にます、そしてまた死にます。それが「死に死に死んで」でもそれが何になるかとか全然わからない(冥い)。

 確かなことは、過去と未来は必ず存在すること。だから何らかの形で生き物は継続するんですわ。わかるのはそれだけ。私もここに63年おりますけどそれ以上のことなんぼ考えてもわからんことはとっくにわかってます。

 ほなどないしたらいいんでしょう。キリスト教徒とかみたいに、これこれの原理守ったら天国行けまっせとか、とりあえず出まかせ言うとったらええ宗教になれるんでしょうか。

仏教の本質

お坊さん 仏教が言うとることはこういうことですわ。わかるもんは本当に少ない。例えば、みなさん、すごい身近なことですけど他人の心、いやもっと近くて家族の心ってわかってますか。わかってないんですわ、お互いわかいおうてないから家族のいざこざとか、刃傷沙汰とかニュースとかでもようあるでしょ。子ども虐待したり…。人のことわかってたらそんなこと起きません。わかってるやろ、わかんのんちゃうやろか、と思うことがあかんのです。わからんことを前提に考えてくださいな。

 わかることは一つもないと思いましょ。でも考えることはできるんです。何を考えるか、いちばん考えやすいのは自分のことですね。自分についていつもいつも深く考えてください。自己中心的になるのとは違います。あなた一人で生きてない、あなたが生きてるというのは周りの人がおるからや。そしてご先祖さんがおるからやね。だからあなたが自分を深く考えるというのは、あなたとあなたの大切な人がどないしたらちょっとでも幸せになれるか考えることですよ。

 考えて考えて考えて、それでちょっとわかったから言うて安心したらあきません。さっき言うたでしょ、あなた自身も毎日毎日、いや一瞬一瞬で変わってるからね。だからずっと考えてください。

 あなたの周りの人、家族とか友だちとか、一緒に働いてる人とか、教えてる学生とか、そんな人の気持ちをわかろうとせんでもええ。それに昔のことは考えることあらへん。遠い、ようわからん未来のことも考えてもしかたありません。あなた自身が考える中で、今この瞬間からその次の瞬間へ向けてあなたとあなたの周りにいる人がどないしたらもうちょっと良くなれるか、そのためにあなたが何を今したら、言うたらええのか、それだけを毎日毎日考えなさい。

 そうやって一瞬一瞬を過ごしてずっと暮らしていってほしいんですわ。その考え続けるいうことが生きることなんですね。

チェックアウト後、奥の院へ

 特に新味のある話ではないが厳かな雰囲気の中で聞くうち思わず聞き入ってしまった。何かがわかった気になった、とでも書いて終わればまとまりがよいのだが、得心はしても、心が晴れ晴れとするというほどではなかった、というのが正直な感想であった。

 朝食後、奥の院へ行き、お大師さま(空海)の御廟(ごびょう)まで往復した。

弘法大師御廟

弘法大師御廟

 御廟の域内に入ると「お大師様はただいま禅定中です。お静かに」という風な立札が立っている。そう。ここでは「空海は、死んだ。」などとは言えない。

 「勉強中だからじゃましないでね。」ということだが、空海は1200年以上考え続けているようだ。朝の話と合わせるとなんとなく納得して何ヶ月かぶりに晴れやかな気分でいる自分を見つけた。

 

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