心の原風景としての老木

大きな木

以前、南通市通州の慈雲禅寺と範公堤遺跡を訪れ、千年前の南通の海岸線について思いをはせてみた。その際、言い忘れたことがある。そもそもわざわざ出かけていって確認してみようと思った目的物は、寺そのものではなく、実は境内にあるという銀杏の古木であった。以下がその銀杏の写真である。

通州慈雲禅寺樹齢1000年の銀杏

慈雲禅寺樹齢1000年の銀杏(南通市通州)

樹齢千年とある。近づいて幹をみると、なるほど枯れつつある老木といった風情で、ところどころ白化している。が、遠景は写真の通り、真夏の太陽を受け生命力に溢れている。こういう老木を見るのが好きなのである。

ということで千年前の南通海岸線の話の、初めに来なければいけない話が、最後になってしまったのだが、要はこの銀杏はあの日訪れた範公堤遺跡にも関係がある。北宋の政治家であった範仲淹が、洪水を治めるため築いた堤が完成した際に、記念として堤防の突端に、土地の人たちが植えたのが、この銀杏だということだ。

以上で通州行きの話は一段落である。

以下蛇足である。どうも私は銀杏に限らず、老木を見ると心が落ち着く。そういうことについて、個人的なことをメモしておく。私は兵庫県川西市で生まれた。私の通った幼稚園は、小さな神社の一角にあり、毎日通園時には神社の御神木である大楠(おおくす)の木を目指して歩いた。神社は小戸(おおべ)神社という。この楠木は樹齢約500年、地元ではけっこう有名な木である。

小戸神社の大楠

小戸神社の大楠(兵庫県川西市)

幼稚園は自宅から徒歩20分程度の場所だった。が、園児にとっては大冒険だったのだろう。当時は幼稚園バスの送り迎えなどなく、今思えばたくましいものだが幼稚園児でも一人で通園する時代だった。300m程度手前から見ることのできるこの木を目指して毎日歩いていたことを、今でも心の隅に記憶している。

当時、すがるように大楠の大木を目指して歩いた記憶が、今でも私を動かしているのかもしれない。

 

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