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日本人総経理の中国語

中国で社長に相当する職位を総経理と言う。拝金主義のお国柄であるから最も尊敬を受けるのは筆頭株主に当たる董事長ではあるが、総経理は会社における実務上のトップであり、会社運営に関しては一切の権限を持つ場合が多い。従業員の給料の決定権もひとり総経理の手にある。すくなくとも中国人従業員はそう思っている。
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常熟と南通

 通算すると常熟、南通にそれぞれ5年住んだことになる。揚子江を挟んで対峙するこれら二つの都市は、お互いの市の中心を直線で結ぶとわずか50キロ余りであり日本人の感覚では非常に近い。今では蘇通大橋があり車を飛ばせばそれぞれの市中心間は40分という便利さである。
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「私設図書館」日本語教師の小さな夢

60歳から中国の大学で日本語教師をやって4年、明日から5年目の新学期を迎える。常々若者と付き合っているからなのか、中国という国の雰囲気がそうさせるのかわらないが、常に新しい夢や目標を持ち、一つひとつ実現していきたいと意欲満々である。
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南通語について

南通語は中国の他の地方の中国人にとって難解な方言の一つであるという。南通語は、温州話に次いで2番目に難しい方言であるそうだ。現在南通語は五つの方言に分類するのが定説となっている。今回それらの成立過程を整理してみた。
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常熟語について

方言という言葉は日中共通だが、中国における方言は日本人の思うところの方言とはかなり異なる。常熟方言、南通方言というより常熟語、南通語といった方が近い。通常中国の方言は普通語(標準語)とは同じ言語とは思えない程度に違う。
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経済の時代(「戦後日本経済史」開講に向けて②)

「経済」とは「経世済民」つまり、「世を治め、民を救うこと」であり、その「経済」の手法を学ぶことは、明治維新後の日本つまり国家が近代化する過程でとても重要になるということを説明しました。今日は「経済」という言葉についてもう少し深掘りしてみましょう。
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渋沢栄一と福沢諭吉(「戦後日本経済史」開講に向けて①)

今学期は「戦後日本経済史」初開講です。基本的には1945年以降の日本経済の動きを学習します。しかし日本経済を理解する時、明治維新を境とする日本の変革期に活躍した渋沢栄一と福沢諭吉、特に「日本近代経済の父」と呼ばれる渋沢栄一について知っておくことは大切です。
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河姆渡でわたしは考えた。

ビジネスマンでありながら学者顔負けの博識であられる出口治明さんは、そこここの著書の中でこのようにおっしゃいます。自分を培い、支え続けているものは「本・人・旅」だと。同感です。私もこれからは、人様の迷惑にならぬように気をつけながらも、私なりの冒険の旅を続けたいと思っています。
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七千年のロマン、河姆渡遺跡へ。

憧れていたというとちょっと大げさかもしれません。ずっと行きたかった余姚の河姆渡遺跡を訪れました。南通から寧波へ長距離バスで移動し一泊。二日目満を持して出発です。河姆渡遺跡は寧波の宿から西北西へ約20キロ。地下鉄とバスを乗り継ぎ、例によって、かなり手前から徒歩で目的地を目指します。
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日本語の来た道(日本語の起源)

高校生の時だったと思います。大野晋博士の「日本語の起源」という本を読んでこの問題にとても関心を持ちました。以来ずっと興味をもっています。
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