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台南二城へ
今日はゼーランディア城、プロビンシア城訪問の予定。
旅に出たら朝食は外に出て現地の人の食べる朝食を探すのが常だ。ただ、今回は半分は仕事気分なので、美味しいものさがしにあまり時間をかけるのもどうかと、ホテルの朝食を予約しておいた。といっても悪くない朝食であった。8時半に出る。
ゼーランディア城(安平古堡)、プロビンシア城(赤嵌楼)について、鄭成功との関連で簡単に書いておく。
ゼーランディア城
ゼーランディア城は現在「安平古堡」という。安平古堡は、1624年オランダ東インド会社が正式に拠点を置いた「大員(台南市安平)」の鯤鯓砂州の先端部に1634年に建てられた。オランダの対外的な防御のかなめとなるところ。この城は1662年に鄭成功によって落とされることになる。
プロビンシア城
一方、プロビンシア城、現在「赤嵌楼(せきかんろう)」と呼ぶ城は、オランダが徐々に統治範囲をひろげ台湾南部をほぼ手中にしようとする時期の1653年に成立した。当時、漢人との大きな衝突事件が起こった。その際、オランダ軍が赤嵌に城堡を築き防御拠点としたのが起こり。以後は城というより行政の中心としての役割を果たした。こちらはゼーランディア城より早く、1661年鄭成功に投降。鄭氏時代の承天府がおかれることになる。
鄭成功祖廟
さて、ゼーランディア城へ行くバス乗り場を探していると、ホテルのすぐ近くに鄭成功祖廟というのがあるのを見つける。これは行かないわけにはいかない。朝早かったが、お参りの人がちらほら。

鄭成功祖廟、神となった鄭成功
中に入ると、平戸の記念館で見せてもらった台湾式お祈りの道具、モンキーバナナを縦に二つに割ったような形の木片を、投げては祈り投げては祈りを繰り返している人が二人。後で調べたが、これはポエ(筊杯(きょうはい)というらしい。
入り口そばに紙を束ねて結んだもの置いてある。意味はわからなかったが、私も100元でその紙束を買って、鄭成功さんにお供えしておく。
廟の人は、「はいはい、ちゃんとやっておくからね」(一部聞き取れない)
と言ってくれる。この紙束を燃やすとか、そういうことなのだろうと理解しておいた。
一通り見終えて、改めて入り口の説明を読むと、1663年鄭経が父親成功を祀るために建てたとある。門前の井戸は創建当時のもの、ともある。適当な場所に、適当に作ったものではなく、由緒正しい廟なのだ。行きあたりばったりに動く自分にしては、幸先よくおもしろい場所を見つけられたものだ。
2番バスで安平古堡へ
2番バスを20分ほど待ち、安平古堡へ向かう。台南で初のバス。最新式の車両だったが日差しがきついからなのか、窓がすべて遮光ガラスで車内はやや暗い。この土地の人にはこの方がよいのだろう。車で動きだし、少し走ると、セブンイレブンが至る所にあることがわかり、驚く。安平古堡駅まで約20分。
鹿耳門をのぞむ
鄭成功時代のレンガ積みの遺跡も一部見ることができたが、現在、形をなしているゼーランディア城はほとんど再建したもののよう。それでも、城内に設置された展望台のような場所に登って、鹿耳門の方角を確かめてみる。その方角にかろうじて見える巨大な建物の赤い屋根があった。おそらく鹿耳門天后宮という巨大な廟である。そこまで期待していなかったが、ゼーランディア城へ来て鹿耳門の場所(付近)を、目視で確認できたことに大満足である。

安平古堡展望塔から鹿耳門方面を望む
鹿耳門、プロビンシア城(赤嵌楼)、ゼーランディア城(安平古堡)
上のようにゼーランディア城から鹿耳門方向を確認して何がおもしろいのか、ということを説明しておく。
1661年、鄭成功は台湾攻略を開始した。目指すは南台湾を支配するオランダの行政府プロビンシア城である。当時の状況を理解するために、まずは以下の地図を見ていただきたい。(現実の当時の地形を忠実に示してはいないが、状況を理解しやすいと考える。)

ゼーランディア城とプロビンシア城(古地図)
左が北なので、厦門は地図の下の方角になる。赤いのが二つの城で、上がプロビンシア城、下がゼーランディア城。外部から来た船は、地図でゼーランディア城の北、大港と書いてある海峡を通らねばならない。仮にここから攻め込めばゼーランディア城から狙い撃ちにされるということになる。オランダの鉄壁の守りである。
鄭成功の戦術
ゼーランディア城の南は陸地から続く砂州。北側は細く浅い水路がところどころにある湿地帯である、大きな船は通れない。
鄭成功は、台湾の協力者を得て、この湿地帯のなかの一つの水路が、年に何度か訪れる大潮のわずかな時間帯に、ピンポイントで成功軍の戦艦が通れる水深を確保できるかもしれないということに気がついた。それが鹿耳門である。
鹿耳門の水路を強調して描いた地図が以下である。

鹿耳門を強調した古地図
(こちらはよく見る地図なのだが、これだと鹿耳門の水道が強調されて見え見えなので、成功軍が奇襲をはかった、といっても何やら作り話のようで嘘くさく感じてしまう。実際は先の地図のように北側からは侵入はほぼ不可能という状態だったのではないだろうか。)
鄭成功の台湾進攻
そのピンポイントの時間が1661年4月30日黎明時だった。鄭成功は霧のなかを鹿耳門に到達、艦隊を内海に侵入させることに成功した。
ゼーランディア城の守備隊は、突然海上にあらわれた数百隻の船舶に驚愕した。その様子を記述した文献には、
「霧が晴れたのち、多くの船が北汕尾港口にあるのが見えた。マストは大変多く、森のようであった」と記されているという。
オランダ軍が鄭成功の艦隊を見た場所、私はそこに立ったわけだ。

安平古堡展望塔から鹿耳門方面を望む
続きます。


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