日没する処の南通から

 江蘇省南通市の南通大学で日本語教師になって早や4年が過ぎました。南通市は、上海、蘇州、無錫、南京などの他の中国の都市と比べると日本人にはややなじみが薄いかもしれません。地図で見ると以下のようなところ。揚子江を挟んで上海と反対側にある市、というとだいたいの場所がイメージできるのではないでしょうか。

南通と日本の位置関係

日本に最も近い中国の都市”南通”

 南通大学のキャンパスは南通市内で4か所に分かれており、日本語科の先生はそのうち3つの校区で授業をします。中でも一番遠方のキャンパスは、上の地図の東北端、南通市啓東(けいとう)にある啓東キャンパスで、たいていの外教(外教:日本人の日本語教師のこと)は週2日泊りがけで授業に行きます。すぐそばは海で風光明媚、冬期は海からの冷たく強い風が吹き、市中心より寒さがこたえるものの、学習環境としては申し分なく学生も勉強に集中できます。

 教員宿舎からは海が見えます。初めて啓東キャンパスの職員宿舎で朝を迎えたときの朝日の美しさ(写真)が忘れらなません。そしてちょうど朝日の昇る方向に日本があるはずです。日本という国はこちら側(中国)から見れば、文字通り“日出づる処の国”なのです。

南通大学啓東キャンパスから見た朝日

 確か小学校で習ったのは、600何年だかに小野妹子が遣隋使として派遣され、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや…」などと書かれた国書を届けたところ、「日出づる…、日没する…」とは何事ぞと隋の煬帝の怒りをかったと、説明を受けたような…。

 しかしこの朝日を見た瞬間、確かに日本は日の昇ってくるところにあるではないか。そして日本から逆に見れば中国は日の沈むところにあるのではないかと実感できる。(そもそも地球が丸いなどという知識がなければ尚更)。確かに「日出づる、日没する」などという言い方は、今風に言えば、配慮を欠いた文言かもしれない。が、この表現自体は事実をありのままに述べた言葉である。

 煬帝の方も、多少気分を害したかもしれないが、この言葉自体に怒ったのではないのではないだろうか。隋国を本当にいらだたせたのは、国書の他の部分にあったのかもしれないなと、この朝日を見ながら、ふと思ったりもしたものです。

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