中国5000日(7)55歳のハローワーク

2010年、55歳の就職活動

 55歳のある日突然就活を始めた。最初は、それほど大変なことだとは思わなかった。まあまあ名の通った会社に再就職できるだろうと思っていた。2010年代に入っていた。就職氷河期という言葉はすでに死語になりつつあったとはいえ、55歳の再就職は厳しいものだった。
 人材派遣会社数社に登録した。最初のうちは紹介された会社の中から、合格したら行きたい会社を選び、おそるおそる一社一社丁寧に履歴書を送っていた。いわゆる上場企業の求人はなかった。いくら待っても面接の連絡が来ない。そういうことかと現実を知り、応募できる会社にはすべて履歴書を出すことにした。基本的に自分の経験がある程度活かせる職場ならばどこでもというスタンスで、100社以上に履歴書をばらまいた。
 反応は鈍い。自分の市場価値が、いわゆるヘッドハンターの注意を引くようなレベルではないと気づくのにそう時間はかからなかった。それからは京都、大阪中心にいくつかあるハローワークにも足しげく通った。

京都駅前ハローワークにて

 京都駅前のハローワークに行くためには、私の下車する奈良線のホームから、京都駅の高架橋を横断して反対側へ出ていく必要がある。朝、多くのサラリーマンが出勤のために歩く方向とは逆方向に歩いていくことになる。自分に向かって歩いてくる多くの人たちは一様に余裕がなく、表情は硬く、不機嫌そうに見えた。自分もまた30年間、自分では気づかないまま、あのような表情で一日を始めていたのだろうと思った。
 ハローワークでは、何度か紹介状を書いていただいたように記憶しているが、面接につながるような案件はなかった。それでも近場であるのでよく行った。

住宅街の公園(夕方)

 ハローワークの建物の隣に、猫の額ほどの公園があり、そこにはいつも、仕事にあぶれた人たちがたむろしていた。失業者同士、同類意識が芽生えるのか、みな気さくに話しかけてくる楽しい人たちだった。人と接するのも久しぶりのような気がした。長く禁煙していたが、差し出された煙草を断ることはできず、その場所から見えるJR線の車両を見ながら煙草を吸ったシーンを、なぜか写真のような鮮明さで覚えている。
 仕事に向かう人々が、あんなに不機嫌な顔をしているのに、さまざまな理由で職を失い仕事を探している人々が妙に生き生きしているのは、どういうことだろう。その後、しばらくの間はヘビースモーカーに逆戻りしていた。

うれし恥ずかしフォークリフト免許証

フォークリフトに乗る人 以上のような状況で、就活といっても、ほとんどハローワーク巡りや派遣会社とのやりとりだけであったので時間はあった。就活の足しになるかもしれないと、フォークリフトの免許を取りに行った。実際には一週間程度の講習を受ければ、簡単な実技試験をして講習受講証明カードをもらえるというものだった。
 5名のグループだった。若者が多かったが、中に一人、私より年配と思われる受講者がいた。当然、若者たちに比べ、我々二人は実技となると覚えが悪い。一日の講習が終わると、最寄りの喫茶店でコーヒーを飲みながら話をした。京都市内に住む人であったという以外、名前はもちろん、お互いの私的なことは、打ち合わせたようにお互い何も聞かず、それでも楽しかった。受講証明のプラスチック製カードをもらった日は、お互い、自分の写真がついたそのカードを、喫茶店の小さなテーブルの上において話をした。ちょうど名刺交換をしたビジネスマンが、相手の名刺を机上に置いて商談に臨むような格好になって、なにやらおかしかった。

コーヒーを飲む二人の男性
「兄ちゃん、気張ってな」
55歳の兄ちゃんもなかろうと思ったが、別れ際、そう言った彼の笑顔が、今でも心に焼き付いている。

そして私の中国5000日が始まる

 結果的に半年の間に5社面接できた。履歴書に書く私の経歴の中の最後の方に品質保証関連の部署を経験していたことが、たとえ5社でも、なんとか面接してくれる会社があった理由だろう。
 初めての面接はお台場のベンチャー企業であった。スーツを着て、新幹線に乗り東京へ行く。もうそれだけで、社会復帰できたような気になった。
最終的に合格し、お世話になるのは東京にある小さな町工場であり、江蘇省常熟にある成型工場の管理者をしてくれということであった。季節は秋になろうとしていた。
 着任までに時間があったので2011年の11月から年明けにかけて、上海市にある中国の名門校、復旦大学に、いわゆる語学留学した。私の中国5000日の生活が始まるのはここからだ。

复旦大学

复旦大学

(続く)

 

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