語学を学ぶこと
もうずっと昔のことのように思ってしまうが、4年前の2017年の夏、私は自分の未来の予想図を心に刻み南通大学に入った。そして新しい言葉、日本語を勉強した。
言葉は自分を表現するための力強い武器だ。たとえば大学に入った当初の気持ちは、あの頃、私自身でもうまく表現できなかったことだ。しかし、日本語を身に付けた今、当時の気持ちを表せば、「うきうき」、「わくわく」、「どきどき」、そんな気持ちだったのだと言える。
異なる国の言葉や語彙を学ぶということは、私にとって自分を表現する新しい方法を身に付けることだ。そして卒業して、働いている自分にとっては、強力な武器となってくれている。すばらしいものだ。
南通大学の思い出
今振り返って、よみがえってくる南通大学の風景は、静かな環境に包まれ、鮮やかな緑に彩られた校舎の姿だ。そしてその素晴らしい校舎の中で経験した、さまざまな出来事は、いまでも鮮明に覚えている。
忘年会のことなどもよい思い出だ。毎年、年末になると、外教の先生は、私たちを美味しいものを食べに連れて行ってくれた。そこで私たちはいろいろな面白い話をし、食事の後は、南通の博物苑やオランダ街など、いろんな場所にでかけて遊んだ。今にして思えば、日本人の先生との交流は、いろいろなことを学ぶことのできる貴重な時間だった。
そして大学の最終年であった2021年については、本当にいろんなことがあった。私は日本語専門八級試験、卒業論文作成、卒業後の会社での仕事を経験した。たった十カ月の間にそれだけのことを経験したことになる。
その期間のことを考えると、酸いも甘いもあり、様々な思いが交錯するのだが、まとめて考えてみると、とても充実していた時期だったと納得できる。
ただ、いちばん辛かったのは、卒業論文の答弁会が終わってからの数日間である。四年間を一緒に暮らしたクラスメイトも、みんながばらばらになって、離ればなれになっていくことを思うと、やるせない気持ちになった。特に寮で同室だった、舎友のみんなとは、四年間ずっと一緒にいたのに、卒業後は皆、離れ離れになることがわかっていたから特につらかった。
彼女たちは、いろんな場所から集まってきた人たちだから、今後はそうそう会う機会はないかもしれない。私は、彼女たちからも、いろいろなことを教えてもらって、心から尊敬と感謝の気持ちがあった。だから、別れは本当に名残惜しく、寂しく、かつ心苦しいことだった。
就職、蘇州OL生活
苦しいと言えば、仕事をやり始めると、やはり勉強とは違う意味での苦しさがある。私の現在の仕事はいわば半分事務職とでもいうのだろうか、自分のやるべき仕事だけでなく、臨機応変に現場へ行って通訳をすることもある。だから、常に会社の現場を回って仕事をしている。
特に通訳としていちばん大変だったのは、会社に入ったばかりの七月と八月だった。毎日、仕事に関する勉強が山ほどある。生産のこと、専門用語などを新たに勉強しなければ仕事ができない。会社が広いので、私は先輩たちについて回って、さまざまな事を覚えていく必要があった。会社の中での勉強は頭だけでなく、体力も消耗するものだということを初めて知った。
大学生活の思い出が心の支え
今、思い返して、楽しかった甘い思い出は、大学生活であったことがほとんどだ。仲間と戯れたり騒いだりする毎日で、暇さえあれば友達と約束して、遊びに出かける。学校で毎年行われる様々なイベントもとても楽しいものだった。
今、大学生である皆さんは、勉強もそれなりに大変だとは思いますが、どんなに忙しくても、楽しい思い出を作っておくことも忘れないでください。
私に関して言えば、学校を卒業した後も、学校で起きた事を振り返ってみることがあります。そんな時なんだか心がしびれるような気持になるのです。仕事を始めた後、苦しいことがあっても、過去の思い出が、自分の気持ちをずっとささえてくれているような気もします。長い人生の中のたった四年間だけの経験ですが、その四年間は自分にとって、充実した思い出の詰まった大切な四年間です。
もちろん仕事もつらい時ばかりではありません。仕事の中に楽しい時もありますし、そもそも、お金を稼ぐというのも結構おもしろいことだと今は思えるようになりました。が、学校生活と比べれば、やはりストレスの多い生活ですね。だからこそ、学校に行っていた頃の事を思い出すと勇気が湧いてきて、がんばろうと思える。
私の一番の思い出が残る南通大学は、今の私の心の支えなのです。
2021/11/7
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