旅の備忘録 26年冬 鄭成功のふるさと平戸へⅠ

たびら平戸口駅

西へ 

 6時半、外はまだ暗い。この時間、最近の私にとっては異常に早い気がする。京都の田舎であるからこの時間、JRホームの出勤の人は少ない。とはいえ、東京にいた頃ならば、ラッシュを避ける意味もあり、この時間は、すでに満員の東西線に揺られ目的の日本橋駅に着くか着かないかという時分である。そう考えると、現役時代は遠くなりにけり、という思いがする。

 京都駅が近づくにつれ、乗客は増え満員状態になる。今から大阪まで出勤する人もいるだろう。日本人は偉い。現役世代の働いている人に感謝する気持ちは、忘れてはいけないと思う。
 私自身、セミリタイアのような状態だが、人間、動けるうちは、働くことは必要だ。働く、つまり誰かのために何かするということだ。ただ、人のためにできることが年とともに減ってくるのも事実だ。
 今の自分に、人の役に立つことができるだろうか。そういうことを常に考えながら、毎日を記録し、経験をつづっていく。ネットに残る文章は、いつか若い世代の誰かの目にとまって、何かの役にたつかもしれない。

京都駅新幹線掲示板

 7時20分発ひかりで博多へ向かう。ひかりは5分遅れ。今週は大寒波が来ている。そんな中、東京から、豪雪地帯の関ヶ原を突っ切って来る新幹線が、たった5分の遅れで済んでいる。それ自体が奇跡に近い。そんな優秀な国に生まれてありがたいと思う。もういいかげん自由気ままに楽しめばいい年代でも、昭和三十年代生まれ、高度成長時代を生きた私の世代はみなそうだろう。自分だけ、遊んでいるのが申し訳ないと思ってしまう。

新幹線車中で考えた

 日本は少子高齢化に向かうから、衰退しかないとよくいう。大きく見ればそうだろうが、私は実は異なる意見をもっている。全体の数もさることながら、重要なのはその社会の中の人々の多くが、それぞれの立場で一歩でも先に進もうとする気持ちを持っていることが大切だと思う。老人特有の精神論である。しかし大切なのは一人一人の心構えなのだ。

 日本人は、そういう面において、前向きな国民だと思っていた。ただ90年代バブル崩壊、就職氷河期を経て、多くの日本人はずいぶん変わってしまった。
 2000年ぐらいだったろうか。会社で管理職なりたいかというアンケートがあって、そんなコスパの悪い立場になりたくないという回答が上回った。正直、驚いた。

 そういう日本人の現物を中国で見た。40代、50代、独身。自分一人が生きていければそれでよい。貧乏は困るが、物価の安い中国で毎日好きなものを食べ、好きな趣味にあけくれ、たまに好きなところに行ければそれでよい。結婚?そんな面倒なことまっぴらだ。

 もちろん、どんな世代、国家でも人材はピンからキリまでだ。ただ、失われた30年に実際に社会を支える立場になった日本人の中に、上のような“自分中心”の生き方をする人間が、いくぶん多くなったのではないか。私はそう思っている。

佐世保

 博多から特急みどりに乗り継ぎ、佐世保まで行く。佐世保は始めてだが知識がない。

1968年1月佐世保に寄港したエンタープライズ

1968年1月佐世保に寄港したエンタープライズ

 私の世代、佐世保といえば、思い浮かぶのは一つだけ。「エンタープライズ入港」、エンタープライズといってもカーク船長の宇宙船ではない。
 1968年米国空母エンタープライズが、佐世保に入港することになった。きっと核を積んでいるに違いないから、「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則に反するものだと、学生中心に大きな反対運動がおこった。小学校四年生だった私でも、連日のニュースの中で、エンタープライズ、佐世保、という言葉は記憶に焼き付いた。今は昔である。

佐世保港

佐世保港

厦門園

厦門から寄贈された白鷺像

厦門から寄贈された白鷺像

 港に至る道路を渡ると、小さな区画があり、「厦門園」とある。立派な白鷺像がある。佐世保は厦門と姉妹都市であるという。銘板には以下のようにある。

 「この「白鷺像」は、2008年厦門市と佐世保市の友好都市提携25周年として厦門園を整備するにあたり、両市の一層の友好を祈念して、厦門市人民政府から寄贈されたものです。厦門市は風景が美しく、穏やかな気候に恵まれ、多くの白鷺が生息しています。白鷺は厦門市の象徴であり、厦門市の市鳥とされています。」

 2008年に25周年というから1983年ごろ。その頃は日本と中国は仲良き時代であったように思う。佐世保市から厦門に送ったプレゼントはどこにあるのだろうか。

平戸

  松浦鉄道で平戸口まで行く。ちなみに佐世保駅はJR最西端の駅、そこから松浦鉄道で2時間の「たびら平戸口」は、日本最西端の鉄道駅である。

松浦鉄道の車両

松浦鉄道の車両

 松浦鉄道、たった一両で、1時間一本というローカル鉄道だが、乗ってみるとけっこう市民の足になっているのがわかる。一般市民に加え、いくつかの中学、高校の生徒が通学に使っている。結構混雑している。東南アジア系、インド、パキスタン系の人も目立つような気がする。住宅の間を,走り、短いトンネルがやたら多い。この鉄道を通すのは大変だったろうと思われる。同じ港町でも、神戸のように、わずかでも平らな場所があるというわけではなく、住宅は皆、坂道に建っている。

 午後3時前、たびら平戸口に到着。まだ、乗ってる高校生ちらほら,毎日2時間近く電車に乗って街の高校へ通っているということか。大変だろう。
 駅前には地元の「マンボウタクシー」が待ち構えていたが、ホテルまで4キロ程度なので歩くことにする。
 途中美しい平戸大橋を渡る。橋を渡るのはけっこう怖かった。

平戸大橋全景

平戸大橋全景

 夕方、ホテルにチェックイン。夜、平戸の市街を少し歩く。オフシーズンで人気はない。
 鄭成功関連の史跡は、南の方へ十数キロ。明日はタクシーで行こう。

続きます。

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