旅の備忘録 26新春 厦門Ⅴ 福建土楼に生きる人びと

福建土楼
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31日、福建土楼へ

 2025年大晦日。福建省の土楼を見に行く。若い頃雑誌のグラビアで見て、いつか実物を見たいと長く思っていた。昨日、案内ポスターに「土楼一日遊(土楼日帰りツアー)」というのがあったので参加することにした。厦門島からだと、車で2時間あまりで土楼のある場所まで行けるらしい。
 8時ホテル前を出発する。大型バスに満員に近い。ガイドは50前後の人のいいおばさんのような人。中国で観光ツアーに参加したことがある人なら、経験済みだろうが、観光バス、ガイドさん、土産物屋がタッグを組んで、あの手この手で、観光客に土産物を買わせようとすることは、ここ中国では多い。その手のガイドさんである。
 豊かな、そして強い国になった中国。観光客相手に押し売りまがいのことをするような風習は、なくなっているだろうと思っていた。が、土楼ツアーなのか、土産物屋ツアーなのかわからないような一日を経験した。

中国式物販のテクニック

 ガイドさんの物売りテクニックにはいささか感心した。開口一番。
「土楼まで2時間以上のバス旅になる。私はいい薬持ってるからあげよう」とくる。
「首筋とか腕に塗っておくと気分爽快になるよ~」と言って皆の席をまわる。
 で、その次が大切。「気持ちいいでしょ、でもこれは売ってあげないよ。その辺の店でも買えるけれど、このあたりのお店では、観光客相手のが多いから実はちょっと高い。お勧めはタオバオ、○○で検索するとすぐ出てくるからね。私はいつもまとめて買っておくんだよ」
「こっちは高いから、こっちが安い」という言葉が、その後のトークにも随所に出てくる。そう言うことで、私は高いものを買わない倹約家だということを、相手に刷り込む。私はそちら側の人なんです、と、相手を安心させる手口。信頼関係の構築が先なのだ。マニュアル化されているんだろうが、なるほどと感心する。
 そうしておいて、実は今、こういうものを持っている…、と言い出して今度はけっこう高価なものを(高値で)客に売る。ところどころに土楼の話もはさみながら、2時間以上これをやられると、売り上げはいかばかりか。なにせ相手はバスの中、立ち去ることができない。 

土楼旅行サービスセンター

 さて、ツアー料金に含まれる昼食の時間になる。バスは、3階建ての大きなビルに横づけされる。

土楼旅行サービスセンター

土楼旅行サービスセンター

 一階は土楼関連の資料館だという。たしかに中へ入ると、おざなりの展示物があり、ガイドの劉さん、多少説明はしてくれる。さて昼食と思いきや、
「まず、福建のコーヒーを飲みましょう」と二階へ促す。コーヒーなら食後の方がいいのに、と思う間もなく、ドアの向こうには大勢、小さな試飲用紙コップを持っておばさんたちが並んでいる。土楼の展示室よりはるかに大きな部屋は、コーヒー売り場である。結構安いのでツアー客の中には、買ってしまう人も多い。
 さていよいよ昼食かと次室へ移ると、そこは朱砂製の装飾品売り場、こちらは多少値が張る。実は2階フロア―のより大きい面積を朱砂製品売り場が占める。そして3階に上がると、さらに値の張る銀製品売り場となる。安物から始まりだんだんと高価なものに誘導するあたり、やはり心得ているのだ。私は、暇をもてあますが、中国人客は金持が多いのか、思わず売り子さんたちの相手になって買ってしまう人も多い。
 ガイドのおばさんが朱砂のネックレスや、銀製の指輪をつけていることは言うまでもない。

土楼ツアー昼食
 二階、三階のにぎやかさに比べ、3階の片隅の食事の場所は、少し薄暗い。食後、お帰りはこちらという矢印に沿って、薄暗い階段を下りて行くと、そこにバスが待っているという寸法である。すでに2階、3階には別のツアー団体が入っているという具合である。

土楼

現地ガイドの説明を受ける

現地ガイドの説明を受ける

 そして、土楼にたどり着いたのは14時を大きく回っていた。現地には現地のガイドさんが待っていた。いつもそうなのかは分からないが、結局この一日のツアーで、まともに見学できた土楼は一つだけであった。
 土楼は客家(ハッカ)の人々の集合住宅。客家は中国史のいくつかの時代に、北方の戦乱を避けて、集団で南方に移住した人。集団で移動し、その後分散せずに集団でコミュニティを作って生き抜いてきたというのが特徴。
 客家の有名人は、古くは太平天国の洪秀全、そして孫文、鄧小平、李登輝、リー・クワン・ユー、と「時代を変えた人」あるいは「時代が変わるときに重要な役割を果たした人」が多い。
 故郷を捨てた、という意識が、ある種の覚悟と強さを身につけさせるのであろうか。ユダヤの強さ、あるいは、一部の日本人にもかつて大陸の戦乱から目指しやってきた人々がいたという観点から見ると、そのような”強さ”がそなわっているかもしれない。
 客家が強いか、優秀か、ということはともかくとして、彼らの作った土楼というのは、人類の作った傑作のひとつと言えるだろう。
 宮殿や城、巨大墳墓などは、時の権力者が人民に作らせたのものだが、強力な指導者がいない人間集団が自分たちのために作った巨大建築物という意味で、歴史上他の例が少ないのではないだろうか。
土楼内部 案内された土楼は、中程度の大きさのもので現在でも数十戸が生活しているという。中心部に祈りのための祠があり、その周りに共有スペースがある。随所に生活感がある。各階の通路は土産物を売る場所と観光客でにぎわっている。
 たまたま私が階上の通路を歩いていると、一つのドアが、あけ放しにされていた。薄暗い面積にして、三畳ばかりの部屋の長椅子の上には、十歳ぐらいの息子を横抱きにして、二人寄り添いテレビを見ている父子がいた。ふと目が合い、なにか悪いものを見てしまったようで、すぐ目をそらした。
 一瞬のことであったが、薄暗い部屋からぼんやりと、ガラス玉のような目で私を見やった親子の顔が脳裏に焼き付いた。
 彼らは決して裕福ではないのだ。本来、大自然の懐に抱かれ、ゆったりと人間らしく生きることが可能である人々が、実はその私生活の重要なを、都会からやってきた金持ちへの見世物として明け渡すことによって、かろうじて日日の糧にありつき、テレビを見る生活をしている。

お茶タイムと帰路

 土楼見学は20分、続いて”恒例”のお茶休憩となった。なんと現地のガイドさんの家に行くことになる。「聞いてない」というわけにもいかない。そして、経験した人はわかると思うが、中国で旅行ツアーでのお茶休憩というのは、お茶の葉の販売タイムである。
 30分ぐらいお茶を飲ませてもらっていると、皆なんとなくわかってくる。目標の数量が売れるまでこの時間は終わらないということを。仕方なく(かどうかはわからないが)一人、また一人とお茶の葉、その他彼らの勧める薬草のようなものを買う。
 結局、1時間半程度のお茶休憩となり、少し薄暗くなってくる。実はもう一つ、土楼を見せてもらえる予定になっようだが、それも前を通るだけとなり、7時近くに土楼ツアーは終了。現地を出る。(もともとの終了予定は7時半)
 かなり予定時間を過ぎていたが、それでも帰りの土産物屋に寄るのはガイドさん、運転手の収入にかかわるので抜かすわけにはいかない。帰りは特設会場のようなあやしい特産品センターに停車。なかなか商魂たくましい。

帰路の土産物屋

帰路の特設土産物屋

ツアー客 途中、鉄道駅で降ろしてもらう家族がいたので、失礼ながら、こっそり写真を撮らせていただいた。めったにできない福建への旅行。有名な土楼も見れたし、お土産もたくさん買えた。田舎でまっている家族や親せきの喜ぶ顔が目に浮かぶ、のだろう。
 30人ばかりの客の乗ったバスであったが、ツアーへの満足度は総じて高いようだ。そこには「満足」があり「幸せ」がある。高度成長期の日本の観光客を見るようであった。

生きる

 「生きる」というのは、「食べて行ける(食べて生きる)」ことだ。現在、生きている人間は、何らかの形で生きるための金を稼ぎ、「生きていく」ことが必要だ。「生きていく」ためには何かにしがみつかなければならない。

 今の私は、金を稼ぐ必要はない。最低限の生活、とにかく食えればよいというだけの金は、年金としていただける立場だ。老人だから物欲もない。
 そんな私もかつて、生きるために「会社」にしがみつかなければならなかった。そのために、自分の夢や感情を抑え込み、矛盾を口にせず、あえて飲み込み、生きてきたのだ。
 「生きる」とは。
 「土楼」という偉大な遺産にしがみつき、おそらく何かを犠牲にし、耐えながら生きている人を見て、学ぶことが多い一日であった。
 ホテルに帰着後、二時間で2026年新年を迎える。

続きます。

 

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