私が中国で働く理由

essay

コロナ禍中の入国

 2月1日、予定通り大阪から中国上海へ向け出発、無事入国することができた。まずはめでたい。

 昨年末、コロナ禍の日本に帰り着いた際、空港での日本人スタッフの「おもてなし」対応に癒されたということを書いた。

 日本から中国へ行くと、当然逆の経験をすることになる。

 関空では出国審査を終えると、いったん免税店フロアがあり搭乗ゲートへはウィングシャトルという2両編成の新交通システムで向かうことになる。

関西国際空港(KIX)ウィングシャトル

関西国際空港(KIX)ウィングシャトル

 ウイングシャトルを降りて目的の搭乗口へ向かうあたりから、周囲の会話が急に中国語に変化する。そこは既に日本ではない。日本で緩んだ気持ちを引き締め、中国的環境に放り込まれる心の準備は搭乗口から始まる。予定だった。

 スマホ中国人今回は不意をつかれギョッとした。出国後、ウイングシャトルに乗るやいなや、スマホに向かって大声で会話を始めた中国女性がいたからだ。

 日本からの出国である。彼女とて日本で過ごしていた時には、郷に入りては郷に従え、さすがに電車内での大声電話は控えたはずだ。しかし出国手続きをしたからもうこっちのものと言わんばかりに日本的マナーを無視するのはいかがなものか、とゴング早々いきなりパンチを食らった感覚を味わいつつ思う。

 まあ、彼女にしてみれば抑圧された窮屈な生活から一気に解放された気分だったのだろう。無理もないと言えば無理もない、と心優しい私は理解しようとはする。

 ただ言いたいことが一つある。彼女、よく見ると若くて顔の造りはどちらかと言えば、というよりかなり美人の部類なのだが、車内で大声でしゃべるその顔は相当醜く感じられた。少なくとも私には。

 美しい醜いの判断基準は視覚的要素だけではないのである。特に若い女性は注意されたい。

私は中国という国は好かん

 のっけから中国人の悪口をいうとはけしからん。そもそも、そう思う国に進んで何度も何度も乗り込んでいくというのはどういう心づもりかということについて書いておく。

 先日、日中両国の国民が相手国に対してどのような印象をもっているかという最新の統計データを紹介した。中国人に対して良くない印象を持っている日本人が今や90パーセントを超えており、逆もまた同傾向という時代になった。

 さて筆者はどうかというと中国好きの少数派に属するかと思いきや、実は多数派の方に属している。つまり国としての中国は嫌いである。

中国と日本 相手国の印象調査結果

中国と日本 相手国の印象調査結果

私的な経験

 化学研究者として、ある意味世間から一歩隔てた環境で30年近く働き続けていた筆者が、海外事業部に異動し中国南通の子会社担当になり、始めて南通出張したのは2004年。学生の皆さんは知ってるか知らないか知らないが、SARSという前のコロナウイルス騒ぎがおさまった頃である。現地南通子会社の総経理は私と同じく研究出身、しかも同い年の友人であったから、楽しい出張であった。

その時、彼と滨江公園の突堤まで歩いたことは以前このブログに書いたことがある。

バナナ3本 昔も今も青年路は日本人向けの店が多い、夜は夜で、皆でひとしきり騒いだ後、彼がスーパーでバナナを、確か4本だったろうか、買い「ほれ、これで3元やで」と私の目の前に自慢げに突き出した時の、笑顔が未だに脳裏にある。

 3か月後、彼は南通某ホテルの一室で亡くなる。死に至る詳しい状況は未だ差しさわりがあるので書けない。知らせを受け急ぎ名古屋の彼の実家に駆けつけた時、初めて彼も私と同じ息子一人、娘一人の家族構成であることを知った。奥様に報告をする私に背を向ける形で食卓につき、食事をする二人のお子さんの背中も、今私の心の中にある。

さらに私的なこと

 一連の出来事を他人事と思うほど、私の精神は強くはなかった。当時48歳、私は海外事業部から元の研究所へ再配置転換された。が、以後かなりゆっくりとしたペースで、私は精神の健康を失っていったように思う。

 「中国の仕事なんてもうこりごりだ」そう思えばよかっただろう。そう思うのが通常の感情なのかもしれない。しかしかなり不安定な精神状態の中、私はこうも思った。すべてを忘れてしまうことで私は元に戻れるかもしれない、しかし彼総経理の失った未来や、彼を失った奥さんや子供たちのお父さんが戻ってくることは永久にない。

私が得た答え

 そういう思考の末、中間は省略するが、結果的に私は残りの人生における仕事として中国の若者の教育を選んだ。

 中国の学生に教えたいことはたった一つである。人の立場に立つ想像力を失うな、ということである。人の痛みを感じろとは言わない。しかし例えば人が転んだら、「あ、痛いんじゃないだろうか。」と思うぐらいの想像力は人間なら元来持って生まれてくる。それを社会に出ても持ち続けておこう、ということだ。

 忘れる大人が、人の立場を想像することさえできない大人が、”この社会”では多いということだ。

日本語という言語

 日本語を学ぶとわかることがある。日本語は英語や中国語と本質的に違う。それは、日本語という言語は、自分が話しかけようとする相手がでどのような人であるか、つまり自分より目上の人間か、友人か、或いは後輩であるか。好ましい人間か、付き合ってはいけない悪質な人間か、そのような認識がなかったら、実は一言も発することができない言語なのだ。

「相手によって言葉を選ぶ」これは日本語の悪い点でもある、しかし言葉を発する前に、まずは相手の立場を理解してからでなければ発話することのできない日本語の特徴は、直接、間接に日本人の思いやりや尊敬心を長い時間をかけはぐくんできたのだ。だから日本語を理解することは、君たちの「人の立場に立つ」という人間が本来もっているはずの感性を、失わせず、かつさらに高い徳性へと磨き上げてくれる役割を果たすと、私は信じているのだ

 敬語などの待遇表現を勉強しなさいと言ってるわけでもない。極端に言えば日本語に限らない。中国語を使うときであっても、まず相手を人間として尊重し、理解しようとする気持ちをもってほしいということだ。

幸い、再び南通に戻ることができた

 今回昨年12月21日に日本へ帰国。日本で14日間の自主隔離、27日間自由行動の期間を経、中国へ戻り56日間の隔離及び監察期に入った。学生の皆さんとの再会が叶うのは3月末となる。残念ながら今学期の開学には間に合わなかったのは申し訳ないことだ。(しかし、これがベストの選択であったことは、別途個別にお話ししたい。)

 今回、無理をして一時帰国し。うれしいことが二つあった。

隔離、自宅待機中

自宅待機、隔離中

 どういう理由で一時帰国したのかということは家族と少数の知人しか知らない。しかし、考えてみてほしい。隔離監察で合計70日、日本で自由行動できるのは27日である。そういう割の合わない条件で帰国しようとするのであるから、これは私にのっぴきならない事態が起きているのではないかと、思ってくれる人がいても不思議ではない。ブログの文章やWeChatのコメントなどにいくぶん異質なものが混じっていたのを見つけ

 実際に心配し声をかけてくれた人が複数いた。

「どうしたんですか?心配です。」そう声をかけてくれたのは、すべてかつて私の教え子であった人たちである

 もちろん「本当に大丈夫なんですか?」と聞かれても「全然大丈夫~!!」と答える他なかったのだが、私にとってはこの上なくうれしかった。皆さんのおかげで、私は、私の仕事の選択が間違ってはいなかったと確信することができた。

 もう一つ。

 上海入りして中国での隔離機関に入った後、日頃からお世話になっている若手の先生に無事中国に戻ることができたというご報告を差し上げた際、以下のような返信のメッセージをいただいた。

「隔離は大変でしょう。もし私にお役に立てることがあれば遠慮なく連絡ください。❤」

 単なるお愛想言葉といえばそれまでだ。これもそう言われたからといって、ではお言葉に甘えて何々をお願いしますというわけでもない。しかし、この言い回しができる中国人にかつて出会ったことはない。

ハート2つ もしお役に立てることがあれば、というのは非力な自分には何もできないかもしれない、その点、親切の押し売りではない。もし助けが必要な事態があればとりあえず連絡だけでもしてみてください、ということを意味する言葉である。

 狭くて窓のない隔離部屋は、幸い誰かにのぞかれる心配もない。メッセージに添えられた絵文字を見ながら不覚にも涙が止まらなかった。

 参考までに付け加えると、彼女はもともと美人でかわいいと学生にも人気の先生である。私の心の中で彼女の美人ランクが二段飛ばしぐらいでアップしたことはいうまでもない。

 

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