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コロンス島(鼓浪屿)へ
厦門三日目、今日はコロンス島(鼓浪屿)へ行く。アモイの海岸の、どの場所からでも見える、鄭成功像を近くで見てみたい。高さは15.7メートルという。奈良の大仏の15メートルよりも少し高いていどだが、石像自体が海に突き出た、海面から30メートルに達する巨石の上にのっているので、とにかく目立つ。
中国の日本語教師
2012年から中国で働いている。満13年、来年は14年になる。2012年、常熟の日系企業に赴任してまもなく、中国各地で反日デモがあった。以来、日中関係はたいして改善されていない。少し前は、福島の処理水問題などの問題があった。が、日中関係は悪いは悪いなりに”低位安定”を保っており、私のような気弱な日本人が「どうしても逃げ出したい」と思う程の不便は感じることはない。
今年2025年の11月、もう一つ大きなひび割れが、中国と日本の間に入った。もちろんのことであるが、私自身は中国で働いている以上、国と国の関係について、意見を表明することはない。
ただ、私は日本語を教えることで給料をもらっているので、大きく言えば、中国人に日本語を積極的に学んでほしい、そして上達してほしいと思い、どうすればそれを実現できるかを考えるのが仕事である。
なぜ今、鄭成功か?

国姓爺合戦 昔の絵本
12月、今期の仕事が一段落したあと、ふと鄭成功(1624₋1664年)のことが心に浮かんだ。明の復興を目指し台湾で戦った武将、母親が日本人、江戸時代の人形浄瑠璃”国姓爺合戦”の国姓爺その人であること、そういう教科書でならった知識以外なにもしらなかった。
それだけの知識でも、鄭成功が中国の人々、台湾の人々にとって英雄であること。また日本人にとっても人気の歴史的人物であることがわかる。文化人ならいざ知らず、武人として敵と戦った人物で、中国、台湾、日本に住むそれぞれの人々から、等しく尊敬される人は他に見当たらない。
教材として適しているかどうかは別として、この冬は少し時間をかけて、鄭成功について勉強してみたい。手始めに、昔々、鄭成功像を見た厦門に行ってみよう。そういうこともここアモイで年越しをしようと思った理由の一つである。
鄭成功というひと
とりあえず、教科書プラスアルファの基礎知識だけまとめておく。
★7歳で福建へ渡り、儒学教育を受ける。明の時代が終わり、父鄭芝龍が清に降伏し、殺される。そして武士の妻として母、田川マツも自害する。
鄭成功は明の再興を誓い、厦門・金門を拠点に強力な海上勢力を築く。1659年には南京攻略を試みるなど積極的に抗清戦を展開するが、情勢は不利となる。
★転機となったのが台湾遠征で、1661年に大艦隊を率いてオランダ東インド会社を攻撃し、翌1662年にゼーランディア城を陥落させ台湾を明系勢力の支配下に置く。その後、台湾統治の基盤整備に着手するが、同年に病没しました。短い生涯ながら、中国・台湾・日本の三地域にまたがる歴史的象徴として今も記憶されることになる。
上陸
厦門島とコロンス島(鼓浪屿)は近い。600メートル程度でフェリーで5分という距離である。実はそう近くなかった。昨日、中山路の終点にある埠頭に寄って見たのだが、どうも居住民専用埠頭で、外から来た人は別の埠頭から島へ渡ってくださいと看板があった。外部者用の埠頭は1キロ程度離れているらしい。ちょっと遠いので、その埠頭までは確認せずにホテルに帰ると、鼓浪屿往復チケット35元という観光社の案内ポスターがあったので、それを利用することにした。
ホテルの近くまでバスが来てくれるというので、これ幸いとその場で購入することにしたが、表示価格とは異なり、58元払えと来る。まあ、お迎えのバス代として払っておくことにした。
大回りしてコロンス島へ
翌日になって58元の謎がとける。9時前にホテル前を出発したバスは、居留者用埠頭前を通り、おそらく外部者用の埠頭も通りすぎ、どんどん進む。いったいどこへ行くのか分からぬまま一時間程度走り、コロンス島裏側の埠頭に到着。そこでもガイドさんがチケットを買うとかで1時間以上待たされ、結局コロンス島(裏側)到着は昼前、ということになる。
コロンス島は小さい島なので、どこに着こうが行きたいところに行けないということはない。別に何を急ぐ立場でもないので、上陸できればそれでよしとする。
それにしても、観光客に少しでも多く金を落としてもらうために、わざわざ1時間バスを走らせるとは、かなり”良心的”なやり方ではある。
ただ、実際はここからが旅行社の稼ぎ時になる。バスにはガイドが乗っている。一般の観光客は、引き続きこのガイドさんの”カモ”になる。島内の観光コースをガイドと一緒に回ると、いくらという風に有料になる。ほとんどの中国人観光客はここでお金を払ってガイドについていくのが不思議だ。
とりあえず、私は帰りの埠頭の場所だけ聞いてその場を離れる。
日光岩

日光岩に登る
行きたいところは決まっていた。まずは日光岩。巨石が積み重なって、この島で最も高い場所となっている。一番高いところの岩に、展望台が設置されている。対岸からも見えたので、昨日からあそこだけは、と思っていた。ほんとうかどうか知らないが、鄭成功が日本の日光にちなんでつけた名前だそうだ。
鄭成功は日本生まれでも、6歳の時に長崎を離れているのだから、日光に行くわけがない。ただ、時代には、日光東照宮も出来上がっていだろう。徳川幕府の聖地として名高い場所ということで、特別な意味を込めて日光と名付けたのかもしれない。このあたりは宿題である。とりあえず高いところに上ると、街並みが美しい。飛行機からの印象と違い、オレンジ色の屋根が統一感あってよい。

コロンス島日光岩からの眺め
鄭成功記念館

鄭成功記念館にて
鄭成功記念館へ行く。船付き場付近は、多くの人でごった返していたが、ここにはあまり人がいない。観光客は別のお目当ての場所があるに違いない。
観覧者が数名集まったところで、学芸員らしき男性が、展示物を一つ一つ説明してくれた。あるていど予習しておれば、勉強になったろう。熱心に説明していただいたのに、予備知識のない私に、中国語の解説はちんぷんかんぷんであった。
台南でオランダ軍と戦い、オランダ軍を駆逐し、彼らの城をとったあたりの鄭成功軍の戦いぶりを中心に展示されていたようだ。鄭成功の生い立ちにかかわる記述や展示はなかった。
鄭成功像

鄭成功像
近くに行くと大きかった。大きすぎた。
先に書いたように、像自体がおおきな岩の上にのっている。像の近くまで到達して、そこから後ずさりして適当な距離から眺めることはできない。真下から見上げるのも迫力はあるが、どうやっても顔は半分しか見えない。
一度、下へ降りて、ぐるっと回っていき、少し離れた、海中の小島のような場所には、鄭成功の全身が見える場所がしつらえてある。が、そちらは少し離れすぎて迫力不足である。
ということで、やや欲求不満は残ったコロンス島散策であったが、鄭成功の全体像については、帰国後いろいろと調べ回ってみたいと思う。
続きます。


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