山陰の旅 2020年(一)島根県安来へ

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京都から米子へ

京都発米子エクスプレス

京都発米子エクスプレス

 2020年新春。中国を拠点にして仕事をするようになって8年。初めて3週間の長期一時帰国をした。

 どうせなら一人旅でも、ということでとりあえず最初の目的地だけ決めて宇治市の家を出た。京都駅前から高速バスに乗り米子へ向かう。8時50分発で昼過ぎには米子到着。米子が近づくと大きく見える大山の姿が美しい。

大山

大山(だいせん)

安来の和鋼博物館

どじょうすくい 14時過ぎには目的地の安来に到着し、直接和鋼博物館へ向かった。安来駅から直進し右側に広がるのは安来港の風景である。かつてはこの辺りで作られた鉄を日本全国に運ぶ積み出し港としてにぎわったはずである。

 賑わいのある町には切り離せないのはご当地ソング。安来節と言えば知らぬ人はいないし、その中の“ドジョウ掬い”なら踊りの動作もたいていの人の頭の中にある。このドジョウ掬いの動作、実は、本当にドジョウを救うための動作ではなく、やはり古来この地で栄えた製鉄業の原料である“砂鉄”を川砂から掬う作業の大変さを表しているという。

安来港

安来港

日立金属安来工場

日立金属安来工場

 さて和鋼博物館、駅の裏手にある日立金属安来工場により昭和18年(1943年)に作られた。

 日本の製鉄は古代ここ安来で、砂鉄を原料とする非効率なものから始まった。非効率とはいえ、現代でもその品質は最高級のものらしい。

 砂鉄から作る安来鋼(やすぎはがね)は現在でも生産され、ジレット、シックなどといった剃刀メーカーの剃刀はほぼ安来鋼で作られているという。

和鋼博物館(安来)

和鋼博物館(安来)

 なかなか楽しい、勉強になる博物館である。古代の製造プロセスや江戸時代以降始まった「たたら製鉄」の模型などの展示がおもしろい。

 「たたら」と言えば例の「地団駄を踏む」「駄々をこねる」などの、たたらを踏む人「番子」さんは「かわりばんこ」のそれぞれ語源となっている。(以下の記事参照)

たたら製鉄の様子

たたら製鉄の様子

日本人にとっての鉄

農具 “鉄”の歴史と言って思い浮かべる印象は世界各国異なるのではないか?中央アジアの鉄といえば古代「スキタイ」が鉄製の道具や武器で周辺の民族を制圧したことを思い浮かべるかもしれないし、ヨーロッパなら時代が下って産業革命の機械文明の前提条件としての製鉄か。中国大陸なら農業革命を起こした農具としての鉄と、匈奴と戦う武器としての鉄が思い浮かぶ。

 日本人にとっての鉄はやはり、弥生時代の農業との結びつきが強い、と思いたい。

 筆者の父親は畑仕事が趣味であったから、生家には納屋というものがあった。納屋の中には、鍬だの、鋤だの、実にさまざまの畑をするための道具があったように記憶している。納屋には窓も電灯もなかったから昼でも薄暗く、その中に置かれた農器具類が神秘的なイメージとして記憶にある。

道具好き(?)日本人

 農具は用途に応じて何種類も必要なのが常識なのだと思っていたが、お隣の韓国ではそう道具にこだわるわけではないらしい。

 数年前に韓国の農村を歩いていて感じたことは、農具のすくなさである。このことを朝鮮の農業にあかるいひとにきくと、クワならクワという一道具を多目的に器用に使うことによって朝鮮の農家はやってきたというが、古代、朝鮮やあるいは江南からの渡来人によって稲作を教えられた日本の農村にあっては、明治維新前後にはすでに一道具一目的 — たとえばタケノコ掘りにのみ使うクワといったように — 多様な農具を一軒の家で持ちそろえていた。このことは、鉄が多量に安価に出まわっていたことと、直接関係がある。

(街道をゆく 砂鉄のみち1975年)

 また日本では大工道具というものにもけっこうこだわりがあるようだ。それは鉄の入手しやすさが関係しているらしい。

 古代のもの作りにはそれに適した環境というものがある。製鉄など場所に関わらずできるのではと考えるのは現代人だけである。高温を実現するためにさまざまの条件や資源が必要だったらしい。とりわけアジアの製鉄では火力を得るための膨大な木が必要だった。

山一つで鉄千貫?

 青銅は700℃程度で溶融状態になるが、鉄はさらに500℃高い1200℃という温度が必要だ。古代の製鉄ではそれを実現するために多くの木、多くの空気を必要とした。空気はともかく、木は消耗品である。量が膨大となるとどこでも鉄が作れるといういうことではなかったらしい。

「一に粉鉄、二に木山」(『鉄山秘書』)

というように、古代に比べて熱効率のいい江戸中期の製鉄法でも、砂鉄から千二百貫(一貫=3.75㎏)の鉄を得るのに四千貫の木炭をつかった。四千貫の木炭といえば、ひと山をまる裸にするまで気を伐らねばならない。木炭四千貫といっても、江戸期のやり方ならわずか三昼夜でつかってしまうのである。(中略)鉄が作られるためにもっとも重要な条件は木炭の補給力である。樹木が鉄を作るといっていい。

(街道をゆく 砂鉄のみち1975年)

 燃やす木があるだけでは不十分である。使った木が再生産されること、つまり、一つの場所にとどまる限り、木の成長が早いことも大切な要件となる。

 その社会で鉄が持続して生産されるための要件は、樹木の復元力がさかんであるかどうかである。この点、東アジアにおいて最も遅く製鉄法が入った日本地域は、モンスーン地帯であるがために樹木の復元力は、朝鮮や北中国に比べて、卓越している。(街道をゆく 砂鉄のみち1975年)

 かつて仕事上韓国をよく訪れていた。鉄道からぼんやり外の景色を眺めていて、そう日本と変わりないと思う反面、ところどころ禿げ山が見えたり、禿げ山とまでいかなくともなんとなく貧相な山の姿があるのは日本と違うという感じたことがある。比較するとわかるが、日本の山というのは、夏でも、さらに冬でも、幾層もの植物相に覆われ全体がもっこりとかさあげされた風情があるのだ。

 日本列島は鉄づくりに適した場所だったわけだ。

 では、そもそも世界で初めて鉄が作られた地域はどこなのだろう、そして鉄づくりを始めた人はその技術をどのように利用してきたのか。最新の成果がNHKスペシャルで短い番組にまとめられていたので次回ご紹介したい。

安来の夜

 安来駅周辺ににぎわいはない。旅館も前日予約した「朝日館」さん以外に見当たらない。夜になるとけっこう暗い。一軒だけ居酒屋のような店があったので簡単に夕食をすませ、そそくさと部屋に戻り休んだ。

安来「朝日館」、炉端焼き

「朝日館」、炉端焼き屋

 冒頭に3週間の長期一時帰国と書いた。

 この月末、中国で新型コロナウイルスの感染が拡がり出国延期、結局十か月の超長期休暇(?)となってしまったことは、この時点では知る由もなかった。

 

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