日本語人材の重要性について
日本語学科の学生さんは、たとえば子どもの頃から日本のアニメが好きだったとか、日本の文化的なものに興味があって日本語を専攻に選んだという人が一定数います。そうでない人、例えば何となく就職がよさそうだから選んだとか、あるいは本当は英語が良かったけれど、高考(大学入試)の点数が足りずに日本語科に回されたという人たちも実は相当数いるとは思います。が、4年間大学でみっちりと日本語を勉強するうち、ほとんどの人がある程度は日本びいきになってくれるのです。何事も真剣に取り組めば興味がわくものというのが道理だし、外国語の学習は興味を持たなければそもそも身につかないということもあるでしょう。
そんな皆さんのような人たちは、日本人にとってきわめて大切な人たちであることを、日本ではあまり強調されないのは残念なことです。現在、中国と日本の両国民は、相手国に対して印象が良くないと思う人が多数派を占めています。残念なことですが、これが現実です。
しかし、だからこそこんな中で日本語を勉強してくれる人、加えてさまざまな日本文化に積極的に興味を持ってくれる人がいるということは日本人として本当にありがたいと思います。そういう人たちに日本語を教える仕事ができる自分は幸せだとも思っています。
愛と憎しみは表裏一体
ただいったん日本が好きになった人々も、やがてはその熱が冷めてしまうということがよくあるのも事実ではないでしょうか。大恋愛の末に結婚した夫婦でも、何年かを経れば相手欠点が目に付くようになり、夫婦の危機を迎えてしまうようなもので、これはある程度普遍的な現象です。とりわけ、日本に留学したり、あるいは日本で働き始めたりして、それまで学んだステレオタイプな“いわゆる日本的なもの”と異なる現実の日本社会に接した時、もっと言えばいわれのない差別を受け悩む中で、ふと日本への憎悪が芽生えたりする人も決して少なくないのです。
あなたが日本への理解を深めようと思えば思うほど、そのような、つまり日本への懐疑が頭をもたげる時期がやってくるような気がします。そんな時には一歩立ち止まって、例えばこう考えてほしいのです。みなさんの感じている失望、反感、憎悪という感情を“未知のものへの違和感”という言葉に言い換えることはできないだろうかと。
異文化誤解はとても簡単
例えばみなさんと逆の立場である私の例です。仕事上中国と15年程度付き合っていますが、日系企業を離れ大学に籍を置いたのはここ4年のことなので最初は勝手が違いました。例えば企業で働いている時は、月初に月間計画を立て、週ごとに週間計画を作る。だから通常日曜日には次週の5日間の予定はほぼ決まっており新しいアポの多くはたいていその次の週回しにする、というのが通常。私はそういうことを日本にいる時から何十年も繰り返してきたわけです。これが大学になるとまるっきり違う。もちろん予定そのものが少ないということはあるのですが、いきなり明日打ち合わせをします、とかひどい時は当日いきなり呼び出しがかかるということもあります。当初私はこれを日本人である私へのイジメだと思いました。他の中国人はみな事前に予定を知っているが、自分にだけ直前に知らせ困らせようとしているのだと真剣に悩みました。
ところが実際は、皆さんもご存知のように中国の大学では何かにつけあまり物事を計画的にやらない、よく言えば臨機応変に対応するのだと後になってわかりました。イジメではなく単なる習慣の違いでした。私がそれに気づかなかったのは、中国にいても日系企業という、どちらかといえば日本側の習慣を押し通すことが可能な環境に長くいたからに過ぎないのです。例えばそんなつまらないことからも相互信頼は崩れるかもしれないという例としてお話しました。
よく日本は中国と一衣帯水の隣国といいます。とはいっても立派な外国なのです。住んでみると、あるいは一緒に仕事をしてみると日常的に感じる違和感は数限りなくあると思います。それをいちいち深読みして一喜一憂していては体がもたないでしょう。
ジェフ・バークランドさんの異文化交流論
20歳の時、日本にやってきて、その後50年以上日本で生活し、タレントとしても活躍された京都外国語大学の教授ジェフ・バークランドさんは、面白い例をあげて「異文化の違和感を楽しむ」ことが異文化コミュニケーションで大切なのだとおっしゃっています。
恐縮ですが、前に手を組んでいただけますか?皆さん前に手、組んでください。ちょっと手を見ていただきたいんですが、右親指か、左親指かどっちが上になってるのかを見てください。右親指が上になってる方手を挙げてください。左親指が上になってる方手を挙げてください。えー、ここから見るとちょうど半々なんです。えー実は70か国、数十万人にこれをさせると人類はだいたい半々なんです。え、右利き左利きとは関係ない。左利きってのは9%、10%の人間に過ぎないですが、この手を組んだときは、これは左か右に分かれる。これは自文化なんです。
じゃ、ちょっと異文化体験をしてみましょう。皆さん反対、組んでください。7割8割くらいの人が2回目、いつも組んでると違うように組むと手を見た、手を見るってのは意識がはたらく。中には隣の人に、これでいいんか?って確認する人もいた。これが異文化です。異文化の出会いの時に自文化を再確認ができる。と同時にもう一つのことがわかると思います。違和感を感じる。違和感を感じる方ちょっと手を挙げていただけますか?みんな違和感感じます。これは異文化コミュニケーションに(として)喜んでもらわないといけない違和感です。私たちが、自分と違う常識価値観の人としょっちゅう出会います。外国人と日本人だけではありません。若い人と年をとった人、男性と女性、関東の人と関西の人、さまざまな違いがあって、私たちと違う常識、違う価値観で生きている人が、周りにいっぱいいます。その人と出会った時に皆さん違和感を感じると思います。その違和感を感じた時に、しっかりと楽しんでください。
京都外国語大学「夢ナビトーク」にて ジェフ・バークランド教授
違和感を楽しめる人を増やそう
これからの時代、日本語を勉強する中国人はそう増えないかもしれません。しかし、日本語を、日本文化を理解できる中国人の価値はますます高くなっていくでしょう。逆に言えば高くならなければ中日関係の未来は暗いのです。
皆さんは、大多数の中国人の中に現在ある中日両国の違和感が、反感や嫌悪に変わってしまう前に、理解と友好に変えてあげるお手伝いをするという大切な役割を担っているのです。
だからまずは皆さん自身が違和感に遭遇した時にそれに負けてはいけません。どうにも理解できない事柄に遭遇した時は、どうもこの辺りには違和感を楽しめない人が多いようだね、と心の中でつぶやいて軽く流してしまうのがいいのです。私も逆の立場で努力を続けたいと思っています。
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