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日本を学ぶ(23)夏目漱石と明治の日本Ⅱ

メトロ東西線早稲田駅すぐの漱石生誕の地から、終焉の地、漱石山房までは歩いて10分もかからない。漱石は、生まれた場所に戻ろうとしたのではないだろうか。江戸から明治へ。日本人のすべての価値観が180°転換することを余儀なくされた時代。新しい日本人の方向性を探し続けることに、公のためにその一生を捧げた漱石。
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日本を学ぶ(22)夏目漱石と明治の日本Ⅰ

エリート中のエリートという印象を与える夏目漱石である。が、彼の人生をもう少し丁寧にたどってみると、エリートとしての仮面の裏側に、生身の漱石の49年にわたる苦悩、苦闘の人生が見えてくる。生身の漱石、苦悩の末に絞り出すように作品を生み出していった漱石の実像に迫ってみよう。まずは彼の眠る霊園に行ってみよう。
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「弱点」「欠点」「短所」の違いについて

「欠点」「弱点」「短所」の違いについて考えましょう。 「欠点」「弱点」「短所」  人や物事の足りない部分を指す言葉で共通して使えることも多いです。 ウルトラマンの弱点は 地球上では3分しか生きられないことです。〇 ウルト...
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「つもり」「ことにする」「てみせる」など、意思・覚悟を示す文末表現

日本語の意思・覚悟を示す文末表現についてまとめます。 意向形 意向形単独での文末 わたしたち…  意向形を単独で文末に用いると「Let’s~」の意味、つまり「われわれ」が主語になる場合が多いようです。 「いっしょに行こう...
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「あたかも」「さながら」「まるで」の違い

「あたかも」「さながら」「まるで」の違いについて考えましょう。 「あたかも」「さながら」「まるで」 三つとも「対象をほかの事物にたとえて形容する」時に用い、多くの場合共通して使えます。違いとしては、①「まるで」→「さながら」→「あたかも...
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日本を学ぶ(21)松阪の一夜。古事記の再生Ⅱ

 28歳、松阪で医者として開業した宣長。開業したての頃は患者も少なく、薬箱をぶら下げて散策していたと言われる。29歳になると、有志の歌会の一員に加わる。松阪市新町の寺、樹敬寺で30年近く続くこの歌会は参加者同士で和歌の批評をしあったり、本の貸し借り
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日本を学ぶ(20)松阪の一夜。古事記の再生Ⅰ

本居宣長は1730年5月7日、松阪市本町に生まれた。江戸に住むことなく、その一生のほとんどを三重県松阪で過ごした異色の国学者。生涯で50冊の本を著わした。中でも有名なのが「古事記伝」。江戸から、さらに言えば、京都・大阪からも遠く離れた松阪の地が、なにゆえに本居宣長のような優れた国学者を生んだのだろうか。
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日本を学ぶ(19)遣唐使の時代Ⅲ

第10回遣唐使は藤原清河を大使として752年に出発した。この使節は、朝貢の場で新羅と席次争いをしたことで知られる。各国からの使者は宮殿内で東西に分かれ整列する。東がいわゆる東側諸国、西側に中央アジア諸国を中心とした国々が並ぶ。当初、東のトップが新羅、西のトップが吐蕃であった。
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日本を学ぶ(18)遣唐使の時代Ⅱ

遣唐使で、玄宗に重く用いられた日本人に、有名な阿倍仲麻呂(698-770年)がいた。彼は渡航時19歳。その後科挙に合格、玄宗に仕えて唐の高官となる。王維や李白とも親交があり、詩人としても名を残している。日本への帰国を望んだが、果たせず、そのまま唐で生涯を終えた。代表作に「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
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日本を学ぶ(17)遣唐使の時代Ⅰ

第一回遣唐使は、推古天皇の後を継いだ舒明天皇即位の翌年630年となった。初めての遣唐使は唐の二代皇帝である太宗(在位626-649年)の歓迎を受け、632年に太宗の使者を伴って帰国する。しかし、第一回遣唐使派遣後、しばらくの間、派遣は中断される。
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