essay中国5000日(13)江南福地、牛もいっぷく常来常熟 常熟へ 2012年2月、常熟での生活が始まった。 常熟市は、現在では蘇州市の行政区になっている。正しくは蘇州市常熟というべきかもしれない。長江を挟んで南通市の対岸に位置する小さな街である。治安がよく、お金持ちが多い。街の中心部を外れ... 2024.12.11essay
essay中国5000日(12)私をスキーに連れてって 2005年1月 これまでの話もそうですが、こちらに書いていることはすべて事実とは異なる部分が多数あります。特に登場する人物に関しては特定の一人を指すことはありません。念のため。 やや暗く始まった2005年 2005年の新年を迎えていた。時代の空気は必... 2024.12.08essay
essay中国5000日(11)長江の小島のまわりをぐるぐると これまでの話もそうですが、こちらに書いていることはすべて事実とは異なる部分が多数あります。特に登場する人物に関しては特定の一人を指すことはありません。念のため。 南通から常熟をのぞむ 常熟は長江をはさみ、南通の対岸に位置する。現在、私... 2024.12.04essay
essay中国5000日(10)そして歯車はゼンマイと化した。 55歳とは? 55歳という年齢を、どう思われるだろうか。年代によって見方は異なるのは当然だ。二十歳の頃、北杜夫の青春論を読んだ。確か冒頭に以下のようにあった。自分(北杜夫)は40歳になった、若い頃そんな年には絶対ならないぞと思っていた。... 2024.11.30essay
essay中国5000日(9)ゼロで始まりゼロで終われ! 2011年 中国 2011年11月26日、チャイナエアーCA922便で関空から上海へ向かった。機内で航空会社の宣伝誌を見ていたら、面白い記事があった。上海生活についての短いエッセイだった。おおよそ以下のような内容だった。 上海での... 2024.11.26essay
essay中国5000日(8)最近聞かない、なんでもあり! 再び中国へ 何かをやり始めるのに遅すぎることはないとよく言う。そういう言い方を否定はしない。が、人間の行動というものは、知らないうちに年相応なものに変化し、元気を気取っていても、チャレンジ精神は減退し、無謀な行動はしないようになっていく... 2024.11.22essay
essay中国5000日(7)55歳のハローワーク 2010年、55歳の就職活動 55歳のある日突然就活を始めた。最初は、それほど大変なことだとは思わなかった。まあまあ名の通った会社に再就職できるだろうと思っていた。2010年代に入っていた。就職氷河期という言葉はすでに死語になりつつあっ... 2024.11.18essay
essay中国5000日(6)失われた1年、もしくは 失われた30年 失われた30年 最近は失われた30年という言葉をよく耳にする。バブル崩壊から30年、停滞を続けた日本経済もいよいよ復活へ向かうのかというところだが、さてどうなるか。 90年代、IT革命という新語が生まれ、世界の潮流が大きく変わる時代... 2024.11.14essay
essay中国5000日(5)”秋の気配” オフコースの時代へ 2004年11月 現在は2024年11月である。今からちょうど20年前、始めて江蘇省南通市を訪れた。20周年だからというわけではないが、週末、初めて南通に来た時に宿泊したホテルに来ている。当時は東京からの出張時、頻繁に利用したが、その後... 2024.11.10essay
essay中国5000日(4)ガンホーの時代 80年代アメリカ映画「ガンホー(GUNG HO)」 「ガンホー(GUNG HO」という映画があった。86年のアメリカ映画で、アメリカの地方に誘致された日系自動車工場が舞台。その中で、アメリカ的な仕事観を持つ従業員と日本の経営陣が対立して... 2024.11.08essay