流れ行く大根の葉の早さかな
鑑賞
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九品仏浄真寺(東京都世田谷区)
昭和三年秋、高浜虚子五十四歳の時の作です。「ホトトギス」昭和三年十二月号に「九品仏より更にの道を辿って多摩川に至る」との前書きとともに掲載されました。
また、虚子はこの句について以下のようにていねいに説明を加えています。
この句は晩秋初冬の頃、田園調布に吟行して多摩川辺をめぐって、稍々(しょうしょう)末枯れ(うらがれ)かかった紅葉をながめ、風に吹き倒されている穂芒(ほすすき)の道を通り、或は柿の残っている農家の間をぬけなどしてそぞろに景趣を味わいながら、ふとある小川に出で、橋上に佇んでその水を見ると、大根の葉が非常な早さで流れている。これを見た瞬間に今までたまりにたまって来た感興がはじめて焦点を得て句になったのである。その瞬間の心の状態を云えば、他に何物もなく、ただ水に流れて行く大根の葉の早さといふことのみがあったのである。流れゆくと一息に叙した所も、一にこの早さにのみ興味が集中されたからのことである。今も尚その時早く流れる大根の葉っぱが著しい強い印象をもって目に残っている。(改造文庫句集『虚子』自序)
「写生」ということ
この句は、虚子が正岡子規(1867-1902年)から受け継いだ、自然や事物をありのままに写し取る「写生」の一つの完成形ともいえるものではないでしょうか。この句に詠まれているものは、一に大根の葉だけです。しかし、小川の水流が手に取るように鮮やかに感じられ、小川のある郊外のたたずまい、川上の野菜を洗う人の姿まで思い浮かんできます。そういう情景を、大根の葉だけに焦点をしぼり、他のすべてを一切省略することで、逆に表現しうるという、写生句の妙味がここにあります。
音象徴から見るスピード感
音としては、「早さかな HAYASAKANA」の「A」音の5連続がまず耳に明るく、さわやかな印象を伝えるのが特徴です。「A」音は「明るさ(AKARUI)」以外に「はやい(HAYAI)」の語感からも感じられるスピード感をもたらしているようです。
上のように見ると9音が「A」段、しかも上の句を「A」の連続で始め、中の句も「A」
スタートです。最後に5連続でしめることで音的にもスピード感が増すようです。
五月雨を集めて早し最上川(松尾芭蕉)
スケール感は違いますが、川の早い流れというと芭蕉のこの句が思い浮かびます。 雄大なスケール、そして「集めて」という言葉に見られるやや技巧的な感じは、虚子の句とは全く種類が違います。しかし音象徴からみたスピード感の表現という見方をすれば、遅録ほどの符合が見られます。
なかなか面白いところです。
以上、新編現代俳句 楠本健吉著(学燈文庫)などを参考にしました。
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