復旦大学の留学生となる
新しい勤め先は江蘇省常熟市であったが、東京にある本社社長のはからいで、事前に二ヶ月間中国語の勉強をさせていただくことになった。常熟の現地法人は従業員200名ちょっとのプラスティック加工工場であったが、前任者との引き継ぎを終えた後は、一人で管理業務をすることになる。通訳はいないので中国語は必須であった。
たった2か月余りの時間だったが、生まれて初めて、語学だけの生活に浸ることができた。大学を卒業して、働き詰めに働いてようやく得た休暇という気がした。上海復旦大学の留学生上級クラスに入った経緯は以前、書いた。飛び込み申請で受け入れてもらった。
編入したクラスは19人で、よくできる数名は華裔(華僑の二世三世)、日本で言えば帰国子女の立場の中国人。ウクライナ、カナダ、韓国、などさまざま。日本人は私を入れて4人だった。心強かったのは多くの受講者が二十代半ばの若者であったが,私以外に五十を超えたばかりの日本人男性が混じっていたことだ。そして、この2か月の生活は、苦しかった闘病、就活を乗り越えた自分へのおおいなるご褒美となった。

大晦日の花火
2011年12月31日大晦日、三十数階建ての復旦大学留学生寮の最上階から見た上海全域に上がる花火の光景は、今でも目に焼き付いている。
外国語の習得について
年末年始を挟み、毎日、中国語漬けの生活をしたが、実はこの期間で、中国語そのものはたいした進歩が見られなかった。すでにある程度のレベルに達していたということもあるが、実際は仕事を始めてからの方が,めきめき上達したという実感がある。教室では、何をどう間違えても何かを取られるわけではない。しかし実社会で聞き間違い,言い間違いがあれば実損につながる。少なくとも信頼されなくなる。責任者の仕事の出来は、会社の存続に関わる。語学はそういう切迫感の中でしかハイレベルには到達しないということだ。
語学はまずは片手間に、そして実践がすべて
以来、語学習得については持論がある。一つ、もし勉強するのであれば片手間に如くはなし。語学そのものだけを学ぶのは人生の無駄使い。二つ、実践の場が最高の教師、と考えている。
のち、日本語学科で長く教えることになるが、実はこの考えは変えていない。語学を専門にしてしまうのは、やはり人生の戦略を間違えてはいませんかと言いたくなることがある。できる学生には、語学以外のこと、それは学問に限らなくてもいいが、とにかく学生時代に日本語以外に何か得意と言えるものを身につけておきなさいとアドバイスするが、あまり効果はない。できる学生は日本語をひたすら勉強するし、そうでない学生は、そもそも日本語すらマスターしようとしない。
修了スピーチ
題目「ワーカホリック日本人の弁明」

欧米の国の人たちは、日本人のこうした働き方を見て、「日本人は自分のプライベートを犠牲にしてまでひたすら働くなんて、信じられない」と言ったりする。
現代社会の基準で判断すれば、私たちは(私は)確かに“ワーカホリック(仕事中毒)”だった。しかし、私たちの「仕事」に対する考え方は、他の国の人たちとは少し違うのです。
まず、「何のために仕事をするのか?」という問いを立ててみよう。もし私が皆さんに「あなたはなぜ働くのですか?」と尋ねたら、きっと答えは人それぞれ。しかし一番多い答えは「お金のために働く」だと思う。
では「なぜお金が必要なのですか?」と聞けば、これまたいろいろな答えが返ってくる。「家を買うため」「車を買うため」「子どもの教育のため」「生活レベルを上げるため」など。
では、「なぜ車を買いたいのですか?」「週末に友達とドライブに行きたいから」「じゃあ、なぜ週末に友達とドライブに行きたいのですか?」「休みの日に友達と遊ぶのが楽しいから」——といった具合に、何度か「なぜ?」を繰り返すと、最終的にはひとつの答えにたどり着く。それは、「幸せな生活を送りたいから」。
では、どうすれば幸せな生活が送れるか?

また、もしあなたが絶世の美女で、世界中の金銀財宝を手に入れて、どんなアクセサリーでも思い通りに手に入れられるとしても、愛してくれる人がひとりもいなかったら、それは幸せと言えるだろうか?これも、No。
なぜかというと、人間の幸せは「誰かに与えること」で初めて実現するものだから。
言い換えれば、自分の持っている「幸せ」を他の人と分かち合うことで、みんなが幸せに生きられる。私たち日本人にとって、仕事とは「幸せを分かち合う」手段のひとつなのです。

私たちの仕事は、直接的であれ間接的であれ、多かれ少なかれ人々に便利さや幸せを与えるという性質をもつ。私たち日本人が懸命に働くのは、人々の暮らしに便利さと幸せをもたらしたいという願いからである。なぜなら、他の人に幸せを与えてこそ、自分自身の幸せが実現すると私たちは知っているから。

复旦大学留学生结业典礼
【参考】中国語原文
大家都说日本人做什么事都认真,特别是工作非常认真。加班、出差都是家常便饭,辛苦一些算不了什么,日本人的生活总是以工作为主的。作为一个日本旧时代的公司职员,我觉得这些评价是正确的。有的欧美国家的人看到日本人这样的工作习惯,说:“日本人不惜牺牲自己的私人生活来埋头苦干,真是不可思议”
以现代社会的标准来判断的话,我们是名副其实的工作狂。其实,我们对工作的看法跟其他国家的人不一样。首先我们考虑“工作的目的是什么?”这个问题。要是我问你们“你为什么工作?”大家的答案恐怕是各种各样的。但是我觉得最多的答案还是“为了钱工作”吧。那“你为什么要钱呢?”你们的回答还是各种各样的。有的说“为了买房子”,有的说“为了买汽车”,“为了孩子的教育”,“为了提高生活的水平”等等。“那你为什么要买汽车呢?”,“为了周末跟朋友一起兜风。”“那为什么周末要跟朋友一起兜风?”,“休息日跟朋友一起玩很开心吧”那为什么要跟朋友一起……。各有各的要钱的理由。但是,反复问几次“为什么?”最后的答案恐怕只有一个,那就是“因为我想过幸福的生活”吧。
那么,我们怎样能过幸福的生活呢?假如你成了大富翁,有劳斯莱斯,住在故宫似的大宅子里,想买的东西都买得到。但是你得一个人住在无人岛,你觉得自己幸福吗?不是吧?。假如你成为绝代的美人,拥有世上所有的金银财宝,想戴的饰品都能得到,但是你身边爱你的人一个都没有,你觉得幸福吗?也不是吧?。为什么呢?因为我们人类的幸福都是互相“给”才能实现的。
换句话说,大家都愿意跟别人分享自己拥有的“幸福”才能所有的人能过“幸福”的生活。对我们日本人来说,工作就是分享“幸福”的一种办法。盖房子的人能给住在那房子的人幸福的生活。修马路的人给开车的人开车的方便。商店的服务员的笑容给我们小小的幸福。科学者发明的产品给我们的生活带来的幸福数不胜数。我们的工作,无论是直接或者间接,也多多少少给人家方便或者幸福的。我们埋头苦干,是为了给大家生活上的方便和幸福。因为我们知道先给大家方便才能实现自己的幸福。


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