「思う」と「考える」
「思う」と「考える」の違いについて考えましょう。どちらも頭脳の働きですが、本質的な差があります。それは何かというと、
自分の意志でコントロールできる(考える)か、できないか(思う)
ということだと思います。このことから「情緒的か論理的か」、あるいは「一時的か継続的か」という、属性(性質)にあたるものが現れてくるようです。
「思う」と「考える」例文
(以下、多くを最新刊「日本語の疑問」(国立国語研究所)幻冬舎新書によっています。)
例えば「不満に…」「うれしく…」「故郷を…」「母を…」とくれば後に続くのは「思う」であり、「原因を…」「対策を…」なら「考える」となります。このように「情緒・感情」に訴えるものは「思う」、「論理・理性」に関するものは「考える」となりスッキリ分かれます。
そして突発的な思考、「誰かと思ったらあなたでしたか!」は「誰かと考えたら…」にはならない。つまり「一時的」思考は「思う」である。これに対し「明日まで考える」のように、じっくり思考するのはやはり「考える」でないとおかしいですね。
以上は「思う」「考える」のどちらかが適した言い方になる例なのですが、
「死後を思う」と「死後を考える」となると、両方言えるのですが、微妙に意味するところが違ってきます。
前者は「抑えきれない不安が湧き上がってくる」コントロール不能の感情になり、「死後を考える」だと「死亡後の手続きや段取りを論理的に考えておく」のようなコントロール可能な処理を示すニュアンスがあります。
「くよくよ思うな△」は何となく変ですが、「くよくよ考えるな〇」は「考える」という動作がコントロール可能であるからこそできるアドバイスなのだ、ということになるわけです。
以上まとめると以下の表のようになります。
けっこういい例文ぞろいなので活用してください。
「思われる」「考えられる」「考えられている」については ⇒ こちら
以上です。
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