「思われる」と「考えられる」の違い。+「考えられている」

「思われる」と「考えられる」の違い

「思う」と「考える」についてみました。続いて「思われる」と「考えられる」の違いについて考えてみましょう。

「思う」と「思われる」、「考える」と「考えられる」

  • 日本の景気は今後回復していくと思う。
  • 日本の景気は今後回復していくと思われる。

 上の「思う」だと、あくまで個人的な意見でちょっと頼りない印象を受けてしまいますが、これを「思われる」とすると、少し格式ばった感じをうけると同時に、なんとなく説得力が増すイメージがあります。

  • 不景気もあって、大卒の就職率は厳しいと考えます。考え、思う女性
  • 不景気もあって、大卒の就職率は厳しいと考えられます。
  • 不景気もあって、大卒の就職率は厳しいと考えられています。

 ここでも、「考えます」はあくまで個人的な意見。これが「考えられる」となると自分の意見ではあっても「不景気」というを事実をベースにやや客観的見地を踏まえたニュアンスが出てきます。そして「考えられている」では、さらにすすんで自分の考えとは関係なく「完全に客観的」な意見ということになります。

「れる」「られる」

  さて、ご存知のように「れる」「られる」という接辞が付くことによって動詞は「受身」「可能」「尊敬」「自発」を表すことができます。

 ではここで問題にしている「思う」「考える」、さらに「考えられている」の「れる、られる」は上の用法でみるとどうでしょう?

 「思う(自然な思考)」と「考える(主体的な思考)」というそれぞれの動詞の性格から、「思われる」は「自然に心に浮かんでくるもの」であるから「自発」、「考えられる」は「事実関係を見るとそのように考えることが妥当ではないか」という「可能」、それを「~ている」の形にした「考えられている」は、世の中の人々が皆、考えていますよという「受身」としての意味が、それぞれ強くなってくるようです。

「思われる」「考えられる」「考えられている」

 そんなわけで、前の例で行くと、「思われる」は自分の独断意見で「思う」のではなく、「ごく自然に浮かんでくる思考」という」意味で「説得力が増す」

 「考えられる」は、事実からそう考えるのが確からしい(可能)であるので、妥当な判断となり「客観性が増す」ことになります。

「思われる」は説得力が増し、「考えれれる」は客観性が増す

「思う」「考える」主観 ⇔ 客観のレベル

 多少無理がありますが、「主観⇔客観」の一本の線上に並べてみると、次のような順になり、主観/客観の分かれ目は、「思われる」と「考えられる」の間にあるような気がします。

 下に示した例文とともに検討してみてください。

〔例文〕

  • 〔思う〕夏休みにアルバイトをしてよかったと思います。
  • 〔考える〕私は、テキストを暗記することは大切ではないと考えます。
  • 〔思われる〕環境破壊により、洪水、山火事などの自然災害が増えていくと思われる。
  • 〔考えられる〕調査結果から、若者のファッションはマスコミに載せられているだけだとと考えられる。
  • 〔考えられている〕中医学では、体の中に熱が溜まると炎症が起きると考えられている。

以上です。〔「基礎日語写作教程①」 高等教育出版社などを参考にしました。〕

 

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