1964年。東京オリンピックの開会式で、ブルーインパルスが大空に五輪マークを描いた。その時の様子を実況で直接見た小学生2年生の私は心躍った。
ただ、57年後の現在も心の中に残っている残像が、開会式当日のものなのか、あるいはその後’64年東京オリンピックといえば、その象徴として繰り返しメディアに現れた、快晴の空に描かれた五輪マークの映像一つなのか、定かではない。
あの日、東京の空に描かれた五輪マークは、64年オリンピック大会を象徴するものになった。当時のチームの指導層は、第2次世界大戦時に戦闘機乗りとして活躍した人たちだったという。その敗戦の生き残りの飛行機乗りが提案した五輪飛行。アクロバットチームは国民の期待を一身に背負い、戦後日本の復興を世界に対して誇示するための、一大イベントにチャレンジし、奇跡的な成果をあげた。事実、東京の空に美しく描かれた五輪は、少年の私だけでなく、日本国民の心を新しい時代に向け高揚させるのに劇的な効果があった。
そして2021年東京オリンピックが始まった。海外で、日本のテレビは見られない環境にいるのでこの度のオリンピック開会式そのものは見ていない。23日昼、偶然YouTubeのサムネイルに”57年ぶりにブルーインパルスが五輪マークを描く!”との文字が目に入り、リアルタイムでブルーインパルスが五色の五輪マークを描くのを見た。
五輪マークは私には見えなかった。雲と風の影響で完全な円を描く前にスモークは乱れはじめ、見る角度にもよるのだろうが、雲の合間に描かれたマークはすぐさま消えてしまったように見えた。
思うにブルーインパルスは57年前のあの日より、はるかに正確な円を、寸分の狂いもない正確な間隔をおいて飛行したに違いない。ただただ天候が味方しなかった。57年前の五輪マークのイメージを心の中に保ち続けていた自分にとっては、失望以外の何ものでもなかった。
ただその時の日本人の反応は少し予想外であった。YouTubeの画面横に高速で流れる”上位コメント”を見ると、もちろん中には「失敗!」「税金の無駄遣い!」という辛らつなコメントがある中、ほとんどが賛美と感謝に溢れていた。これは少し意外であった。57年を経て、日本人はやさしくなった。同じ「東京オリンピック」という名を冠してはいても、それを運営する日本人も、それを見る日本人も名実ともに”別物”になっているのだと改めて気がついた。飛行を批判するよりも前に、まずは「おつかれさま」とねぎらう心の余裕を現代の日本人は持っていた。57年まえと今とではオリンピックの開催目的やその意義はまったく違う。諸外国に対して強さを誇示するようなオリンピックである必要などない。やさしい日本人、そしてつつましやかで愛すべき日本人、どのように形容してよいかわかないが、日本的なものを内外共に再確認することが大切だ。
そんな風に考えると、何か胸に込み上げるものがあった。経済を中心とした国力という観点でみれば、日本の前途は決して明るくはない。むしろ暗い。しかしこれからの時代を、日本人は持ち前のお互いを思いやる心遣いで、しっかりと生きながらえてほしい。
2日経過した。ブルーインパルスの五輪マークについて批判的なニュースや論評はネットニュースを見る限り少ない。話題の中心は競技の方へ移っている。
日本はこれでいいのだと、思う。ただ今の日本の子どもたちで、数十年後、東京で行われた今年のオリンピックの思い出としてブルーインパルスの五輪飛行を記憶しているものは少ないかもしれないと、少し残念な気もする。
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