「日語総合教程」第六冊 第6課「いのち」阿部昭 を読みます。
前回(こちら)の続きです。
動物のことを書く――と言っても、私の場合はごらんのとおりで、書く資格もないようなものであるが、読者としては、巧みに小動物の姿を写したルナールの『にんじん』や『博物誌』などは愛読してやまない。
一般に、向こうの作家のものを読んで、とてもかなわないと思うのは、彼らが我々と違い、親子代々、子供の時分から鉄砲になじみ、狩猟を通して動物に親しんでいることである、獲物を仕留めるには、相手の生態をよく知らなくてはならないから、自然、観察も真剣で、目も肥える。いわば彼らは、獣との血なまぐさいつき合いを重ねながら、自然への理解を深めるのであろう。
ルナールにしてもそうで、猟は日常茶飯事であり、『博物誌』などもただの風流な自然観察の産物ではない。彼の文章は、優しく、かつ残酷である。
ところが、ルナールの『日記』を読んでいくと、三十代の半ばごろになって、大決心をしてもう猟をやめよう、息子にもやめさせたい、と。それに続いて、彼一流のりすの描写がある。
……りす。りすにはかささぎのような性質がない――棒と銃器との区別ができないのだ。樹によじ上って身を隠し、それで安全なつもりでいる。私には鼻しか見えない。最初の銃声で、りすは、びっくりして滑り落ち、枝にとりつき、しがみつく。死んだのだ。そうじゃない、動いている。第二の銃声。りすは落ちる。私は、雨の降るときには、しっぽを顔の前へ引き寄せて雨を避ける、この無害な優しい獣を殺したのだ。
冷血漢! (岸田国士訳)
動物のことを書く――と言っても、…
要写动物的事—这么说的话,正像诸位所看到的,我是连写的资格都没有的人。但作为读者,我对巧妙地描绘出小动物姿态的列那尔的《胡萝卜》、《博物志》等爱不释手。
・(注)「ごらんなさい」は「見なさい」の尊敬語ですが、ふつう目上の人には使いません。目上の人に使うときは「ご覧ください」とします。
~てやまない
一般に、向こうの作家のものを読んで、…
一般来说,读那些作家的作品时感到无法与之抗衡的是,他们与我们的不同,世世代代从孩童时代起就与枪支为伴,通过打猎而亲密接触动物。
因为射杀猎物时必须熟知对方的习性,自然而然地观察也就认真、鉴赏力也就高超。
可以说他们在与野兽的充满血腥的接触中,加深着对自然的理解。
・血なまぐさい:①鮮血のにおいがする。「戦場を血なまぐさい風が吹きわたる」「この魚は血なまぐさい」②流血をみるような残酷なさまである。「血なまぐさい事件」
ルナールにしてもそうで、猟は日常茶飯事…
列那尔也是一样,打猎是家常便饭。《博物志》等不单单是优美的自然观察的产物,
・(例)柔道家にとって脱臼は日常茶飯なので、怪我のうちには入らない。
・風流:優雅で、落ち着いた趣があること。みやびやかなこと。「風流な庭園」「風流を解する人」

ジュール・ルナール(1864-1910)
彼の文章は、優しく、かつ残酷である。
他的文章优雅而残酷。
但是,把列那尔的《日记》读下去的话,就会看到他的这种感想:到了35岁左右,在某个时间突然变得对无益的杀生讨厌起来。下大决心今后戒掉打猎。也想让儿子戒掉。
接下去是他独特风格的对松鼠的描写。
・(例)彼一流の話術
……りす。りすにはかささぎのような性質がない…
……りす。りすにはかささぎのような性質がない――棒と銃器との区別ができないのだ。棒と銃器との区別ができないのだ。…..松鼠。松鼠没有喜鹊那样的天资,它不会区别棒和枪。
它爬到树上藏起来,以为这就安全了。
・すがる:頼りになるものにつかまる。「手すりにすがって階段を上る」→頼りにする「人の情けにすがる」
我只能看到它的鼻子,
第一声枪响,松鼠滑落下来,靠在树枝上,紧紧抱住树枝。
・★魔物などが人に乗り移る。つきものがつく、という意味もあります。「狐が取り付く」。★頭から離れなくなる→「恐怖に取り付かれる」

死了。不是的,还在动。
第二声枪响,松鼠掉下来。
我把下雨时会将尾巴拉到脸上避雨的这种无害的温顺的动物杀掉了。
冷血动物!
・熱血漢:正義感が強く、熱烈な意気をもった人。
・硬骨漢:意志が強く、信念を曲げない人。



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