旅の備忘録 26冬 台南Ⅲ

プロビンシア城

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ゼーランディア城から鹿耳門をのぞむ

 ゼーランディア城の展望塔の上にいる。鹿耳門天后宮の赤っぽい屋根が見える。かつて私の視野の範囲はすべて海であったろう。

安平古堡から鹿耳門方面を望む

安平古堡展望塔から鹿耳門方面を望む

 当時の地形とgoogleマップを並べてみる。

鄭成功の台湾進入路をgoogle mapで見る

鄭成功の台湾進入路を新旧の地図で見ると?

 ゼーランディア城(現在の安平古堡)、プロビンシア城(現在の赤嵌楼)、鹿耳門の関係がわかると思う。かつての海は現在池の多い湿地帯になっている。
 来るときのバスは20分程度だった。ホテルは赤嵌楼のすぐ近くなので、たいだいの距離感はつかめるだろう。

一六六一年四月三十一日早朝

 私は展望塔の上で、当時のオランダ軍台湾長官コイエットの視点で鹿耳門を見つめているわけだ。その情景を陳舜臣「鄭成功」から引用しよう。

 ゼーランディア城では、早くも国姓爺の艦隊を発見した。
しらせを受け台湾長官コイエットは、たまたまゼーランディア城に来ていた、プロビンシア城の司令官ヤコブス・ファレンタインとともに望楼にのぼった。
 「一隻のこらず撃ち沈めてくれる」
望遠鏡から目をはなして、コイエットはそう言った。
 国姓爺の艦隊は、とうぜんゼーランディア城の前の南口、すなわち安平の水道から湾内にはいる。――コイエットはじめオランダ側の首脳は、そうとばかり思っていた。そこ以外に大型船は通れないからだ。
(略、大潮の時がやってくる)
 「皇天の恵みにこたえて奮戦せよ!」
 と、鄭成功は叫んだ。
 「うおーっ!」
 という喚声が、鄭成功の叫びに応じた。その喚声は、兵卒のあいだから起こったのではない。”自然の法則”を知っている幹部たちがリードしたのである。喚声がおさまるのを待ってから、鄭成功は言った。――
 「海上に天祐神助あれば、陸上にもそれはあるはずぞ。いざ、征くべし!」
 再び喚声があがった。
 馬信の乗っている第一船が、ゆっくりと動き出した。
 「や、や、こちらへ来ないぞ。……気でも狂ったか、国姓爺は。鹿耳門へ乗りいれるぞ、あの浅瀬の多い。……
 ファレンタインは驚きの声をあげた。
 「わがゼーランディア城の大砲をおそれて、浅瀬に乗りあげるのか。血迷ったのだ。やつらが身うごきできなくなるのを、ここでゆっくり見物しようぞ」
 と、コイエットは言った。
『鄭成功 旋風に告げよ』陳舜臣 より
ゼーランディア城の大砲(ただし現在置かれているものは鄭成功時代のものではない)

ゼーランディア城の大砲(ただし現在置かれているものは鄭成功時代のものではない)

 展望塔の上に立ち、鹿耳門の方角を眺めながら、じっとしていると、鄭成功の艦隊がゼーランディア城の大砲の射程圏外を悠々と進んでいく姿を、心の中にしっかりと描くことができた。
 「いいところに来たなあ、……」
つくづくそう思った次第である。

不思議な体験

 時計を見るとまだ昼前。旅はまだ始まったばかりである。とりあえず、市中心まで戻ることにした。しかし、バス停まで戻ってみると、どちらの方向へ行くバスも1時間ぐらいまたねばやってこないことが判明。
 たいした距離でもないだろうと、来た道を歩き始める。しばらくすると向こうから2番のバスがやって来るではないか。安平古堡からさらにこの2番バスにのると、まっすぐ先ほど見た、鹿耳門天后宮方面に行く。時刻表にないバスだが、番号は間違いない。バスと競争し、最寄りのバス停まで走り飛び乗った。

迷走、2番バス

 安平古堡で私以外すべての乗客は降りていく。この先の湿地帯に用のある人は少ないのだろうと別に気にしなかった。鹿耳門へ半分ぐらいの距離を残すあたりで、運転手氏は何やら私に言っている。全く聞き取ることができない。方言が強いようだ。
 やがてもと来た道を戻りだす。
 「この先の鹿耳門までいくのではないのか?」
 私の言うことは通じるようだ。しかし、私がひとこと言うと何十倍もの早口の返事が返ってくる。
 「外国人だから、わからない。ゆっくり簡単な言葉で説明して。」
といっても、同じ。しまいに相手は怒鳴り声になる。
 怒らせるのも申しわけないと、
 「まあ、もともと鹿耳門は明日の予定だったので、このまま帰るか」
腹も減ったし、おとなしく坐って帰ることにする。
そこまでは、まあよい。ホテルから2番のバスでやってきたのだから、そのまま乗ってれば20分少々で帰れると思ってぼんやりしていたのが間違い。ふと気がつくと、全く知らない風景の中を走っている。あわててスマホで確かめると海の方へ向かっている。
三鯤鯓バス停 「このバスは市中心に向かわないの?」「No!●〇▶■×…。意味不明」
 ひたすら怒られてる気分。もとの場所には戻れないことだけはわかった。
 「わかった。なら終点で降ろしてください。」
 ターミナル駅なら、帰りのバスも見つけやすいだろうと次善の策にでた。
 「OK!こが終点。」
 降ろされたのが、三鯤鯓というバス停。周囲には何もない。次のバスはまた1時間以上。
実は今もってあの2番バスの動きは謎である。

三鯤鯓(Sankunshen)に立つ

 とはいえ、降ろされた場所はターミナルとは言い難い。確認するとホテルまで、つまり赤嵌楼まで歩いて2時間弱。まあ、途中で適当な場所でバスを待てばいいと思い歩きだそうとして、ふとこの奇妙なバス停の名前「三鯤鯓」に思い至った。
 そう。冒頭にゼーランディア城は鯤鯓砂州の上に建つ、と書いた。あの鯤鯓がここなのだ。先の図にも(下図茶色部分)、一鯤身、二鯤身、三鯤身……とある。

ゼーランディア城とプロビンシア城(古地図)

ゼーランディア城とプロビンシア城(古地図)


 結局、本日の動きは、赤嵌楼付近からバスで出発、安平古堡から左の方、鹿耳門へ行こうとして、なぜか引き返し、かつての砂州の上「三鯤鯓」にやってきたということになる。だからどうと言うことはないのだが、そのあたりの地形の距離間隔をイメージでつかめたのは、思わぬ収穫ではないかと思ってしまう。現在の地図上で砂州を黄色でマークしてみると下のようになる。ちなみに、バスを降ろされた「三鯤鯓」バスストップは漁光島の真ん中あたりである。

鯤鯓砂州、先端にゼーランディア城

 昔の絵では、砂州の上のゼーランディア城が下図のように描かれている。

鯤鯓砂州(画面奥から手前へ延びる)、先端にゼーランディア城(2と示されている)

 よくわからないバスの運転手さんに感謝、とまではさすがにいかないものの、予期せぬ出来事のおかげで、かつての砂州のど真ん中とおぼしき場所に立てたのは、旅の一興と考えてもよい。
 (ただ、歩きだして適当な場所でバスに乗ろうと考えていたが、どこへ行ってもバス便が来そうもない感じで、結局暑い中2時間弱徒歩でホテルまで帰ってしまったのは想定外ではあった。)

プロビンシア城

 一度、ホテルでスマホ充電がてら休憩。16時ごろ今度はプロビンシア城へ。鄭成功の時代は「城」だったのかもしれないが、こちらは幾度かの立て直しの毎に、建物の様式も大きく変化しているようで、建物自体には往時を思わせるようなないように感じられた。

プロビンシア城跡に立つ赤嵌楼

プロビンシア城跡に立つ赤嵌楼

 ガイド本などには、前庭に「鄭成功和議の像」というものがあると書いてあるが、どういう理由かわからないが、それも見当たらなかった。

 ともあれ、今日一日で、プロビンシア城、ゼーランディア城、ゼーランディア城から望む鹿耳門、おまけに、かつてゼーランディア城へ続く砂州の上だった場所にまで行き、それぞれの場所で、想像を膨らませることができた。濃密な1日だったと言える。
 
続きます。

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