旅の備忘録 26年冬 鄭成功のふるさと平戸へⅢ(補足)

媽祖木像

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媽祖のこと

 平戸川内町でもうひとつ見たかったものがあった。「媽祖」像である。鄭成功記念館に行けば、きっとあるだろうと先入観で思いこんでいたが、見つけることはできなかった。
 「媽祖」は南海の海の神様、おそらく鄭芝龍、鄭成功ら海賊(海獠)たちは、航海の安全を”媽祖さま”に祈願していたと何かの本で見た。
 おそらく、日本でいえば神棚のようなコンパクトサイズの媽祖廟を、船に載せていたのだろう。
 見た目も、きっと魅力的な神様であるにちがいないと、思った。

海神の子 川越宗一

 直木賞作家 川越宗一氏の「海神の子」は、平戸時代から、台湾攻略前までの鄭成功を描くエンターテインメント小説。エンタメというのは、かなり史実を曲げた設定で書かれており、そのあたり事実関係を分かった上で読み進むと実に面白い。
 その中で「媽祖」と呼ばれる人物が登場する。誰かといってしまうと、ネタバレになってしまうので控えるが、媽祖的キャラクターがこういうものかと、私はなんとなくこの本から読み取ることができた。ますます本物の媽祖像への期待が膨らむ。

街道をゆく 台湾紀行

 私は、なにかにつけバイブルのように参照してしまう司馬遼太郎の「街道をゆく」のファンであるが、その中で媽祖が実在の人物であることを知った。上の本にはこうあった。

 漢民族文化は、具体性を好む。彼女は福建省莆田の林家の第六女で、誕生日もくっきりしている。宋のはじめの健隆元(九六〇)年三月二十三日である。
 二十七歳のとき、機織をしていて、肉体から魂が遊離した。魂ははるか海上に飛び、海難に遭っている父や兄を見、まず父をたすけた。
 魂が階上にいるとき、母が彼女を呼び醒ましたために、兄を救うことができなかった。
 じつによくできた説話で、女性の美質であるけなげさと、人間としての固有のかなしみがよくあらわされている。
 やがて海上の守護神になった。
 媽祖信仰は、大きくわければ道教に分類される。
(中略)
 本来道教は、非体系的なものだった。(中略)やがて古代の無と無為の思想家老子をもって教祖とするようになった。それらを”教義道教”とすれば、
門神やカマドの神や関帝廟、それに媽祖廟といったものは”民衆道教”というべきものかもしれない。
 ともかくも道教は、皮膚呼吸するようににて多くの台湾人の心のなかで呼吸している。

台湾人と日本人の信仰

 台湾には現在でも400以上の媽祖廟があり、台湾人は、何かにつけ祈りに行くという。鄭成功記念館で、例のおじいちゃんが教えてくれたことがある。台湾の媽祖廟では祈りの際に次のようなまじないをするという。それは、
 ちょうど、モンキーバナナぐらいの大きさの木片を、縦に二つに切ったようなものが用意されている。祈る者はそれを地面に投げて二つの木片の表裏、位置関係で何かを占うという。おみくじ感覚で、なんとなく日本的だと思った。
 かまどの神様にしろ、トイレの神様は台湾にあるかどうかしらないが、いろいろな神に祈りをささげる私たちは、一心不乱にThe Godに忠誠を誓う、一神教の宗教とは違う。違うメンタリティの中にいる。
 神道と道教は、本質的にそれほど違わないような気が、少ししている。
 いつか台湾にいって、そんなことを考えてみたいと思った。

松浦市資料博物館

媽祖像(松浦家資料館)

媽祖像(松浦家資料館)

 そんなわけで、媽祖像を見逃したと思っていたのだが、川内町から帰った午後、なにげなく立ち寄った平戸市街中心にある松浦市資料館で、現物をみることができた。
 それがタイトル上の写真である。
 もちろん事前に調べておけば、ここにあることなどすぐわかったはずであるが、その時は私の大発見だと思った。
 写真を明るくすると、こんなものかな、という感じだが、薄暗い光線の中で、やや表情が確認しづらい状態で目の前に現れた媽祖像は、想像を膨らませたほど女性らしくはなかったが、私の心の中で神々しく輝いてくれた。

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