前回 → こちら
「NHK街道をゆく」シリーズは、司馬遼太郎「街道をゆく」を映像化したもの。中国シリーズ三部作もあり、ナレーションは平易に解説してくれています。日本語学習者にも、好適な材料と言えるでしょう。
中国シリーズの結びともいえる厦門の部分を、以下に書きだします。
(青字部分がナレーション)
厦門
厦門(アモイ)は一九七九年に、中国最初の経済特別区に指定された港湾都市です。海外の資本を積極的に取り入れ、現在、福建省の経済活性化の原動力としての役割を担っています。厦門の名が歴史上、注目されるようになるのは、十四世紀、明の時代からです。
-800x465.jpg)
厦門、金門島、コロンス島
「街道をゆく」中国・閩(みん)のみち より
明は鎖国政策をとり、一般の商人の貿易をいっさい禁じていました。密貿易を行う商人たちが政府の取り締まりに対抗して武装したのが、福建海賊の始まりです。高度な航海技術を持った福建海賊たちは、東南アジアから日本まで、その経済活動の範囲を広げていきました。
コロンス島(鼓浪屿)

台湾を見つめる鄭成功像
厦門の南に、面積二平方キロ足らずの島、コロンスがあります。十九世紀半ばのアヘン戦争後、外国人の居留地、租界とされたことから、コロンスには今、西洋建築が数多く残り、異国情緒がある観光地になっています。清の時代、このコロンスに根拠地を置いて活躍した、一人の福建海賊の英雄がいます。
鄭成功。海賊たちを束ね、政府軍やヨーロッパの軍勢と戦った勇敢さで、今も中国人の間に人気を集めています。鄭成功は、明朝末期の十七世紀の初め、福建人の父と、日本人の母との間に、肥前の平戸で生まれました。鄭成功が生涯を賭けたのが、明朝の再興でした。青年時代に明朝が倒され、清朝に取って代わられるのを目の当たりにした鄭成功は福建海賊たちを組織して、清への抵抗活動を始めます。戦いの矛先は、中国に進出し始めていたヨーロッパの軍勢にも向かいました。台湾を占領したオランダに戦いを挑んだ鄭成功は、激戦の末、台湾を奪回し、自ら統治に乗り出しました。
優れた司令官として手腕を発揮する一方で、鄭成功には、命乞いをする敵を信じて欺かれるといった、人間味あふれる一面もありました。その人柄が、鄭成功がいまだに広い人気を得るもとになっています。
最後まで抵抗をうけた清朝でさえ、この敵を前朝の忠臣として顕影し、諡号まで贈った。江戸期の日本人も鄭成功がすきであった。近松門左衛門が『国姓爺合戦』を書き、また平戸藩もかれの生家や誕生地をよく保存し、江戸末期、成功の生まれた千里浜に碑を建てた。
「街道をゆく」中国・閩(みん)のみち より
中国文明とは

コロンス島の鄭成功像
鄭成功は、古来、広大な海を舞台に活躍してきた福建人の象徴として、今も称えられています。
さまざまな民族が交流してきた、閔、福建。司馬さんは、この地が歩んできた歴史に、中国文明の本質の一つを感じています。
「華に参加すれば華だ」
というおおらかな感覚こそ中国文明の核心をなすもので、つまりは人種論ではなく文明論の国なのである。
「街道をゆく」中国・閩(みん)のみち より


コメント