旅の備忘録 26新春 厦門Ⅵ 厦門大学と魯迅

厦門大学正面
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2026年元旦

 廈門で新年を迎えた。昨年は年末年始、北京で年越しし、開始早々、せっかく予約しておいた北京大学に入門できないというトラブルがあり、少し残念な思いをした。リベンジというわけではないが、2026年新年の最初は、中国で最も美しいと言われる厦門大学へ行く。
 ホテル最寄りの中華城バス停から、海岸沿いを走る22番バスで厦門大学へ向かう。路線上に、厦大の文字を含む駅名が多い。コロンス島の対岸、海に沿ってキャンパスが連なっているため、そうなる。

魯迅

 バスの中で「街道をゆく」に引用された魯迅の訳文を読み返す。翻訳ながら重量感のある文章だ。”暗い”ということではなく、ひたすら”重さ”を感じる文章だ。
 この時の魯迅は、思想犯として北京を追われ厦門に身を寄せていた。

 思えば、まだ去年、厦門島に引っこもっていたころだが、ひどく人に嫌われて、とうとう「鬼神を敬して之を遠ざく」式の待遇を受け、図書館の楼上の一室に祭りあげられた。昼間はそれでも館員や、製本工や、閲覧の学生がいたが、夜九時を過ぎると、みな散り散りに帰ってしまって、巨大な洋館のなかには、私のほかには人っ子ひとりいなくなった。
 私は、静寂のなかに沈んでいった。静寂は酒のように濃くなり、軽い酔いを覚えさせた。背後の窓から望むと、突兀(とつとつ)とした岩山に、たくさんの白い点が見える。墓の群である。ぽつんと黄色い火の見えるのは、南普陀寺の瑠璃灯だ。
 前面は海と空がひとつになって、黒棉のような夜色に包まれている。胸を押しつけられるような感じだ。
 私は石の欄干にもたれて、遠く眼をやり、自分の心臓の音にきき入る。はるか四方から、はかり知れぬ悲哀と、苦悩と、零落と、死滅が、この静寂のなかにまぎれ込んで、それを薬酒に変え、色と、味と香とを増すような気がする。
『魯迅論評集』岩波文庫

厦門大学入校 

厦門大学構内魯迅像

厦門大学構内魯迅像

 思明学区医学院前でバスを降りる。一昨日、近くをした双子塔が近い。すがすがしい朝、朝日に向かって少し歩く。東は金門島、そも向こうに台湾がある(はずだ)。
 ビジター用の門の前、通りを挟んで、海側に抜ける小道がある。100メートルほどの直線の遊歩道を抜けたところは目の前が海岸、すばらしい環境である。
 入門してすぐ右にいきなり魯迅の像がある。学内の人と思しき人に聞くと、魯迅が住んだという例の図書館も、今は魯迅記念館として残されているという。
 記念館開館まで時間があったので、キャンパス内を一周する。建物は新しいものが多いが、”中国で最も美しい”というだけあって、建物などを見ながらゆったり散歩するには最高の場所である。
 驚くべきは、学生寮らしき建物も、レンガ造りの立派なもので、わが南通大学とはずいぶん違う。いつの間にか昼近くになったので、学内の珈琲店で、コーヒーとソーセージの簡単な食事をしてから魯迅記念館に向かう。

集美楼(旧図書館)

 魯迅記念館は、現在集美楼として、かつてと同じ形で残されている。今は全体が魯迅関連の展示館となっているが、魯迅の時代は一階が図書館、二階の端の部屋に魯迅が住んでいたようだ。

 厦門大学は魯迅が四十代の一時期、身をひそめていた故蹟でもある。一九二六年、北京で段祺瑞政権が反政府分子を弾圧したとき、魯迅にも逮捕状が出た。八月北京を脱出し、九月厦門大学の教授になったが、三か月後には退職している。
 「街道をゆく」中国・閩のみち 司馬遼太郎 から
厦門大学集美楼(魯迅記念館)

厦門大学集美楼(魯迅記念館)

 集美楼二階の端の部屋は、実際に魯迅が住んだところ。魯迅の部屋が再現されている。この机は本物に違いない。あの場所で魯迅が先の文章を書いたのだ。そう思うと、少しゾクゾクする。
 かつてはこの二階からの展望は、先の魯迅の文にもあるように、けっこう良かったのだろうが、今はキャンパス内に高い教学楼が林立しており、海も、また山側の南普陀寺も見ることはできない。
 それでも、かつて魯迅が生活したであろう部屋の位置に、デスクやベッドなどの生活用品が、おそらくそのままの配置で再現されていたのを見ることができた。

魯迅の机

魯迅の机

南普陀寺

 海と反対の門を出たところが南普陀寺。魯迅の住んだ図書館二階から墓が見えたというのもうなずける。元旦の初もうで客ですごい賑わい。厦門は仏教徒が多いのか。線香も大悲殿もごったがえしている。新しいピカピカの千手観音が四体、四方を向いている。

南普陀寺大悲殿千手観音


 前掲の魯迅の文章にも、南普陀寺が出てくる。
 行ってみると、境内は雑踏していて、縁日のようににぎやかだった。この寺は唐代にすでに存在していたというが、いまの建物は一九二三年の再建で、私のうまれた年である。建物はおもったほどには、中国寺院特有のぎらついた感じではない。
 境内は、上にむかって三段階にわかれており、最も高い層に八角の楼殿がある。大悲殿である。
 金色燦然たる千手観音がおさまっていて、その前に小柄な老婦人がいた。
「街道をゆく」中国・閩のみち 司馬遼太郎 から
 司馬さんの入った時とは異なり、大悲殿へ上る階段も人でいっぱいであった。

厦門園林植物園

 法堂横から登りの道が続く。ここからは「街道をゆく」プラスアルファの領域。五老峰というらしい。予想していなかった長い階段の山道となり、けっこう疲れた。頂上まで登って山の反対側が、そのまま有名な厦門の園林植物園の裏側の門となっていた。植物園側に降りていく人は少なかったが、入門して下山することにした。
15時前、植物園西口から出る。皆こここから植物園に入場するようである。名前はよくわからないが、くねくね曲がった高木が目立つ広場が植物園入り口付近に広がっている。

しなやかな木たち

 なんとひねくれた樹木だろうと、思ったが、どうやらこれは風の強い海岸に生える樹木の一つで、幹が風で折れぬよう十分は柔軟性があるため、成長の過程で特定の強く長い風に対して塑性変形して、上のようなおもしろい形状に育っているようである。
 この点、地元京都の北山杉のように、あくまで直線性を守り、その分密生することで集団として強度を得るのと、まったく異なる戦略でもって進化したものなのだと、一人納得。
 見かけは多少みっともなくとも、折れずに一人で立っていく。今年は、こういうひねくれた木のような生き方でもいいかなと、少し思った。 

 列士記念碑、中山公園を経て、暗くなる前にホテルに帰着する。

続きます。

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