2024年 年末
2024年12月30日
もうずいぶん日本で年を越していない。中国の新年は旧正月の正月。1月1日の元旦は祝日ではあるが、新しい年を祝うということはない。確かに上海、北京、西安などの大都市では、年越しのカウントダウンが行われる。が、それによって年が改まったという感覚は、中国の人々はもたないようだ。
中国の大学も二学期制、12月末までが教える方にとっては、いわばかきいれ時、1月になると教師側はほっと一息、対して学生の方は期末試験準備のために宿舎に籠って連日勉強となる。彼、彼女らは、1月上旬に試験を終えて帰省、冬休み中に春節(旧正月)を迎えるということになる。彼らはそれなりのリズムの中で動いているが、外国人教師である私は、帰国して日本の正月を楽しむこともできず、かといって授業で忙しいわけでもない。中途半端な年末年始をおくることになる。なっていた。
日本の年末年始の時期南通に閉じこもっているのは、寂しい。というか、なんとなく“年寄くさい”と感じるようになり、一昨年からは、無理にでも南通市を離れることにした。
北京へ
ということで、24年12月30日。南通空港から北京へ出発した。
11時10分、南通興東空港からCA1900で北京へ。約2時間のフライト。空席が目立つ。天気良し。ただ一昨日からなんとなく風邪気味のよう。授業が終了すると油断するのか風邪を引いてしまうのは、毎度のこと。教師は学期中、風邪を引いてはならない。意識せずとも緊張しているのだろう。学期中、喉を傷め、多少声が変わった程度のことはあっても、緊張が解けた時、よく待ってましたとばかりに風邪を引いた。

北京飯店 24/12/30
北京。五、六回は来ているはずだが、ゆっくり観光した覚えはない。現役時代、東京へ何十回となく行っていて、観光した記憶がないのと同じ。地下鉄空港線に乗り、乗り換え一号線で王府井駅へ。どこにも寄らずに北京飯店にチェックインしたが、久々の北京。なぜか東京のようだと感じる。大阪や、上海のようなざわざわした感じがない。地下鉄車内も駅も静か。人々も静かである。
北京飯店
北京飯店 1506室にチェックイン。窓から故宫全景が見える。残念なことにベランダへ出るドアは開かない。散歩に出る。故宮の方角へ歩くと、いくつも検問のようなところを通らねば進めない。ある所からは事前予約がないと進めなくなる。けっこう厳重だ。

老北京炸酱面(28元)
ホテル横の王府井に戻る。初めて北京へ来た時、この通りを案内してもらった覚えがある。当時は観光客向けのいろんな出店が立ち並んで、にぎやかなところとという印象があった。王府井書店は、ずっと以前、中国語を勉強していた時のテキストに出ていたぐらい。ただにぎわいは消えていた。
旅先では、食べるもので贅沢をしたくない。できるだけ普段と変わらない価格帯のものを食べる。節約ではない。悲しくなるからだ。理由は別のところに書いた。ホテル横の小さな店で、老北京炸酱面28元。そういえばまだコンビニを見てない。
本当に何もないので、8号線で前門へいってみる。こちらはけっこうにぎわっている。やっと旅行気分になる。スタバも発見。ようやくコンビ二らしき店を発見、京东便利が一軒。19時過ぎ、ホテルに帰る。
大晦日

天壇
12月31日 他の大都市でもそうだが、どこへ行くにも、携帯で予約が必要とわかった。取り急ぎ、有名なところ、天壇公園、国家博物館、天安門を予約して出かける。
8号線王府井から天橋へ。朝、王府井で降りる人が多い、乗る人は少ない。天壇。皇帝が豊作を祈る場所として建てられた。豊作を祈るのは、日本の古代天皇の大切な役割でもあったが、イメージは重ならない。良くも悪くも、中国皇帝の豊作の祈りは高く強い立場で、人民を触れ伏させるためのもの。という印象を、建物を巡りながら感じた。権力の誇示である。別に悪口ではない。
日本歴史の特徴的なところは、信長、秀吉以外に、権力をことさら誇示しようとしたトップはいないということ。海に囲まれ、外敵を意識する必要がなかったということなのかもしれない。そういうことをつらつらと考えていた。天壇公園内でリスをみた。
10時半、地下鉄で王府井へ戻り、一号線一駅先天安門東へ、中国国家博物館へ。引き続き快晴で気持ちいい、気温は低めで歩くと体は温まるが、顔が冷たい。
天安門へ行く人、博物館へ行く人、かなりの人数が並んで待っている。さて、北京では60歳以上が老人扱いで、外国人でも入場料はタダになる。タダであるだけではなかった。偶然見つけたのだが、老人専用入り口というものまであって、並ばず、スイスイ博物館に入場できた。こちとら、あと2週間で68歳。楽々老人。こういう時、老人扱いしていただくのは、勝手ながらありがたい。
中国国家博物館

中国国家博物館エントランス
楽々入った国家博物館。第一印象。無駄にでかい。
北京は中国の首都、国家の威厳というものをあらゆる場所で示さねばならんのだ、と感心し、納得し、そして…。「…」はとりあえず伏せ字扱い。そのうち穴埋めする時も来るだろう。
展示品を、古代から時代を追ってざっと見ていく。稚拙な造形が、時と共に精密さ、細かさを突き詰めていく周王朝ぐらいまで。のちの時代は、単純化へ向かうとともに美しさの追及へ。唐代には、人物造形にデフォルメがみられ、美の追求の方は宗教と結びつき、後代の思想的造形を極める時代へと続いていく。あまりの展示物の多さに、お腹いっぱい状態になる。
別室で科学技術の歴史の展示もある。中国は、歴史的に見ればずいぶん長い間、世界をリードしてきたのだ。それは常に周辺民族と争い、競争を続けた結果なのだと思う。島国日本で生まれてよかったと思う反面、世界的規模で見れば、平和な島国日本人の方が特殊な人々なのかなあと、思ってしまう。
天安門広場、什刹海、王府井で年越しカウントダウン
国家博物館から出、道路を渡るとそのまま天安門広場に入場ということになる。巨大である。以前来たことがある。あの時も寒かった。いったんホテルに帰り小休止、什刹海へ。池は凍っている。そんな中、数名の水着姿のおじさんたち。50代60代であろう。皆の前でなにやら演説中である。何を言ってるのかわからない。やがて一人、また一人と冷たい水の中へ入り、泳ぎ出す。中国式寒中水泳だ。日本でもあるが、この年代の日本男性は、あまりやらないだろう。

王府井24‐25カウントダウン
なんのかの言っても、50、60の日本男性は仕事以外のことにあまり手を出さない。私もそうだったし、おそらく今でもそうだろう。若い世代は、仕事人間になどならないという雰囲気を醸し題してはいるが、いざ彼彼女らもしかるべき年齢になったら、しかるべき日本人になってしまうような気がする。
池が見下ろせる4階のカフェに落ち着く。絶景とはいえないが落ち着けた。
20時前にホテルに帰着。23時頃、王府井に出ると人が徐々に集まってくる様子。景気を反映してか、周囲のカウントダウンの声は、ややおとなしめだったとはいえ、北京、王府井の時計台前で、2025年の新年を迎えることができた。
続きます


コメント