失われた30年
最近は失われた30年という言葉をよく耳にする。バブル崩壊から30年、停滞を続けた日本経済もいよいよ復活へ向かうのかというところだが、さてどうなるか。
90年代、IT革命という新語が生まれ、世界の潮流が大きく変わる時代。技術的には互角、あるいはそれ以上であったろう技術大国日本が、バブルの後処理に追われる間に、世界のデファクトスタンダードを、おそらく戦略的に根こそぎアメリカに持っていかれた。あれから30年である。そろそろ盛り返してもいいかと思う。
私が期待する理由は、どちらかと言うと精神論的な理由である。90年代、世の中の変化に対応できず、落ちていった悔しさを知る世代が、諦めず30年地道に頑張ってきた成果が、そろそろ出て来てもいいかという気がするからだ。
今どき、そういう浪花節的精神論、根性論で物事を考えるバカもいないといわれるかもしれない。が、技術の進歩は驚くばかりに速くなっても、人々の考え方や世代ごとのメンタリティーというものは、そうそう簡単に加速更新されるものではない。特に失敗の経験、屈辱の歴史などというものは、個人レベルであっても、国レベルであっても、傷が大きければ大きいほど、反発力は強く、長く残っていく。
今どきの中国の若者
仕事柄、中国の若者の意見を、生で聞くことができる立場にいる。私の見るところ、現在二十歳前後の中国の若者は、ほぼ100パーセント、次のような主張をする。
「中国は、過去蹂躙されました。その悔しさは我々は片時も忘れたことはない。しかし、これまでは中国は弱くて何も出来なかった。今、ようやく中国は強くなった。ずっと我慢してきた私たちは、今こそ、失ったものを取り返さなければならないのです。」
きっとそういう考え方を、どこかで一律に教えられているのだろう。ある程度、親密になり私が親中(本当か?)だとわかると安心するのか、そんなことをいってくれる。
蹂躙されたのは、アヘン戦争あたりからで、あの時代に失ったものを取り返したい。いつの時代に戻りたいのかというと、清帝国最盛期の時代なのだそうだ。十九、二十歳の若者が、真顔でそんなことをいう。私など、若い頃ノンポリ(古!)だったから、国全体のことなど滅多に考えなかったが、そういう観点からみると、ご立派、ご立派といわざるを得ない。
少し横道にそれたが、要は日本も失われた10年、失われた20年、そして失われた30年などと言ってきた。今になって日本は遅れた、二流国になってしまったと、文句ばかり言って、己の怠惰の言い訳にしている30代40代の日本人も確かに大勢いる。しかし、何くそ今に見ていろとコツコツ頑張り続けていた人々がまだ日本には大勢いるはずだ。そういう人々の努力が報われる時代が、そろそろ来てもいいと思うのだ。
ただ、清帝国の復活が、たぶんないように、かつて日本一つの不動産価格で、アメリカ全土が4つ買えることになるとか言われたような超経済大国の時代に戻れるのかというと、それはないだろう。日本はダメになったとか、停滞しているとか、単に経済指標や国際競争力だけで国の力、国民の幸せを推しはかり、一喜一憂する時代からは、そろそろ卒業し、いろんな意味で若者に夢を与えられるような社会に向け動き出していけるのではないかということだ。
2011年 失われた1年?
2011年、私は京都本社で働いていた。業務は事務的な内容で、そう難しいものではなかったはずなのだが、日を追うごとに効率が落ちていった。数ヶ月を経たある日、一日8時間デスクに座っていたはずなのに、仕事としては一歩たりとも進んでいないということがあった。流石にこれは異常だと他人事のように思った。ある日、いつもの様に出勤しようとして、会社の最寄りの駅で降りた。めまいを感じ、降りたホームのその場でしばらく立ち止まっていた。たいしたことはない、と思ったが、上司に連絡を入れ休暇をとった。次の日も、またその次の日も、朝定時に家を出るが、職場に着くまでになんらかの、異常が起こった。
いつしか、一週間の欠勤となった。これはますます会社に行きにくくなったわい、と思い、仮病を使うことにした。流行りと言ったらよろしくないかもしれないが、当時メンタルを病み、会社に来なくなる者が多かった。駅前のクリニックへ行った。ちょっと仕事がうまく行かなくて鬱気味で、とか、適当に説明すれば1週間休むぐらいの診断書なら書いてもらえそうな気がした。そういう医院へ行くのは初めてだったが、人であふれた待合室で、世の中には心に病を持つ人が多いもんなのだと、ぼんやり思っていた。
医師は若かったが、いろいろ聞かれることが中心で、診察というものでもない。最後にペーパーテストのようなものをやらされた。
「重度のうつ病ですね。」
いや、流石にそこまでは要らんでしょ、と思い、
「別に、以前に比べて、気分が特別落ち込んでいるとか、そういうこともないんですが…」と言い訳するはめになる。
医師はすかさず、
「それは、以前からずっと重度のうつ病だったということです」
医者のくせに詭弁を弄するヤツだと思った。
失われた1年、あるいは失われた30年
以後、一年間、薬漬けの生活になる。一年少々を経、2012年の年初から、中国常熟の日系企業現地法人で働くことになる。私にとって2011年は失われた一年ということになる。そしてそこからさらに十四年を経過しようとしているが、今振り返ると、あの時医師の言った「ずっとうつ病だった」というのもあながち大袈裟ではないという気がしてくる。大学院終了後、研究所勤めをしてからずっとというなら、それこそ失われた30年である。
2012年、社会復帰してから生活が変わり、環境が変わり、自分も変わった。憑き物が落ちたような気分であった。中国での生活は、万事順調とは程遠かった。しかし自分の信念に基づいて、即、改善を目指すアクションを起こすことを忘れなかった。日本では考えられないような裏切りに遭おうと、あるいは、理不尽な処置に遭おうと、戦う気力だけは失わなかった。後ほど述べることになるかもしれないが、自ら訴訟を起こし、裁判で戦うようなことをやってのけるなど、過去の自分では考えられなかった。こちらの方が、本当の自分なのだろうか、今もってよくわからない。
本当の意味での第二の人生への入り口は、あの暗い待合室ではなかったろうかと、冗談でなく思う。仮に第一の人生が失われた30年であったにせよ、今となってはその時期を過ごしたからこそ、今へと続く道があった。決して悔やむべきではない。
(続く)
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