六月を綺麗な風の吹くことよ(正岡子規)

6月を綺麗な風の吹くことよjapanese
6月を綺麗な風の吹くことよ

俳句・短歌、中興の祖正岡子規

ホトトギス

ホトトギス

  正岡子規(1867-1902年)は明治の人。俳句・短歌などの日本に古くからある短詩に新風を吹き込んだ「俳諧の中興の祖」と言われる歌人です。若くして、当時は不治の病だった結核を患い、34歳で亡くなっています。その作品のほとんどは病床で作られました。

  「子規」というのはホトトギスという鳥の別名で、ホトトギスが鳴いて血を吐くという故事から、喀血に苦しむ自分をホトトギスになぞらえ雅号としたということです。

  • 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
  • くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やわらかに春雨の降る

などの作品がとても有名です。表題の

  • 六月を綺麗な風の吹くことよ

という句。爽やかな感じがする俳句ですね。ここでは、この句の中の「を」の効果を中心に助詞の使い方、効果について勉強しましょう。

六月を綺麗な風の吹くことよ

 まず「綺麗な風(きれいな風)」という表現に注目しましょう。「風」の形容はたとえば、強い、弱い、あるいは触覚で感じて、心地よい、涼しい、冷たいなどが普通ですね。「綺麗な」という「視覚」を表す形容詞を「風」に対して使うことで「風が見えるかのような共感覚」を呼び起こしてくれます。共感覚比喩については以下の記事を参照してください。

 

 
 さて本題の助詞の「を」の使い方についてですが、これは「空を鳥が飛ぶ」「道路を渡る」「街道をゆく」などいわゆる ”移動の「を」”です。
 「六月を吹く風」と言うことで、梅雨が過ぎ、すでに夏となりつつある季節の中を、風が爽やかに吹き抜けていくというような、大きな風景が心の中に浮かびます。
六月を綺麗な風が吹くことよ

六月を綺麗な風の吹くことよ

六月に綺麗な風の吹くことよ

 「を」を「に」に変えると「六月に綺麗な風が吹くことよ」。こうするとどうでしょう。動作の行われる時を表す「に」です。「15日に上海へ行く」というような客観描写に近くなり、急に俳句としての面白味が消えたように感じませんか。「を」で示すことのできる「広がり、大きさ」が感じられなくなるためです。「綺麗」「風」などの言葉が易しい平凡な言葉であるだけになおさら、平平凡凡たる俳句になってしまいます。

六月に綺麗な風が吹くことよ

六月に綺麗な風の吹くことよ

六月は綺麗な風の吹くことよ

 もちろん「は」でも文としては成り立ちます。しかし「六月は綺麗な風の吹くことよ」としてしまうと「六月」という言葉が少し浮いた感じになるイメージがありますね。「は」は取り立て助詞ですから、「綺麗な風が六月に吹く」という元の文があって、その中の「六月」を「は」で取り立て前置した形が「六月は綺麗な風が吹く」という文になるからです。

 「六月」はこの句の中では あくまで背景(Back ground)としての役割をしており、前景に「綺麗な風」があるべきなのです。ということで「は」でもちょっと具合が悪いですね。

六月は綺麗な風の吹くことよ

六月は綺麗な風の吹くことよ

米洗う前を蛍が二つ三つ

 情景描写に広がりを与える「を」の役割ということでは、以前にも「米洗う前を蛍が二つ三つ」という句を題材に考えたことがあります。興味のある方は以下の記事も、参照にしてください。

 

 

「六月を綺麗な風の吹くことよ」の句を作った時の子規

 文学作品を鑑賞する時に、必ずしもその背景を知る必要はないかもしれません。ただこの句が作られた1895年の正岡子規について少しコメントしておきましょう。

日清戦争(1894年)右方に従軍記者がいる

日清戦争(1894年)右方に従軍記者がいる

正岡子規(1867-1902年)

正岡子規(1867-1902年)

 1894年日本と中国との間に日清戦争(中国では甲午战争)が起きます。正岡子規は従軍記者として中国に渡ります。95年5月帰国の際の船の中で喀血してしまいます。神戸の病院に入院。症状は重く生死の境をさまよったあげく、何とか持ち直します。

 そして神戸の病院から須磨の療養所に移り静養していた同年7月に作った句が表題のものなのです。ですから「六月」とは実際は旧暦六月で今の七月、真夏ですね。

 大病となり死と向き合う生活の中で、涼やかに吹いて来た夏の風です。六月を吹き抜けていったのは風であると同時に、正岡子規その人の命であったのかもしれませんね。

「坂の上の雲」(司馬遼太郎)の中の記述

 参考までに子規が神戸の病院に入院していた時のようすが「坂の上の雲」に描かれています。その部分を引用しておきます。

そのとき、五十年配の付添婦がコップをもって入ってきた。それを子規にわたすと、子規は顔を横ざまに臥かせたまま血を吐いた。血はコップに半分ほどたまった。喀血は日に数回あるらしい。

そのうえ、食事が摂れなかった。匙に一杯の牛乳すらうけつけず、このままでは死を待つしかなかった。

数日経ち、医師は栄養浣腸をもって体力を養わせる処置をした。最初のそれをやった時、子規は例によって指をうごかして虚子の顔をまねきよせ、「清さん、いまのはなんじゃな」と、きいた。

虚子が説明すると、子規はわずかに顔色をうごかした。驚いたのである。自分の容態がもはやそこまですすんでいるのかとおもったのであろう。

「坂の上の雲 (二)」(司馬遼太郎)文春文庫から

「六月を綺麗な風の吹くことよ」の句ができたのは、この時から一、二カ月後のことです。

 

 

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