ナスビはナスビにしかならない(森岡毅)

ナスビはナスビ

マーケター森岡毅さん再び

 面識も何も無いのですが、単に故郷のご近所の伊丹高校を出られたというだけで、著名なマーケター森岡毅(もりおかつよし)さんを紹介させていただいたことがあります。

 同じビデオの中で「弱みを克服するのではなく強みを伸ばせ」「どうすれば強みを見い出せるか」という話をされています。文字に書けば、その辺の自己啓発本に書かれているありきたりのテーマのように感じられるかもしれませんが、この方の話し方には人を納得させる何かがあるのです。

飛行機

【本文と関係なし】ちなみに私の実家は川西市、伊丹空港を飛び立った飛行機がこのぐらいの大きさに見えたものです。!(^^)!

ナスビはナスビにしかならない

 あのう、普通人間って、えっと弱点だと思うことをどう直そうかって考えるんです。ナスビはナスビにしかならんのですよ。逆にナスビであること、丸みがあること、紫色が黒光っていることを、誇りに思うようにしてあげないかんのですよ。ナスビがキュウリになれとか玉ねぎになれ、オレは玉ねぎが好きなんだってやったら、しょぼくれたナスビにしかならんでしょ。ナスビはね、立派なナスビにするしかないんですよ。えっとね、皆さんね、日本社会っていうのは子どもの時から大人になって会社になっても、上司からも親からも、学校の先生からも国語苦手、漢字書けないあなた逆さ文字書くって、僕はずうーっと言われてきたんですよ。で、国語頑張っても僕得意にならないもん。で、林先生みたいに、数学得意なんでも国語の先生になれるようなスーパーマンもいるんですよ。僕はね、そこでのたうち回った人生なんです。数学ぐらいしか、とり、なんか自分なりに自信が持てるとこがなかったんですよ。

ナスビはナスビ1

瓜

 筆者も30年間会社生活をしていたからわかるのですが、大きな組織の中には必ず天性のリーダーのような人がいます。

 そしてその人間の周りに自然と人は集まっていくのです。そういう人は必ず饒舌であり、人を酔わせる独特の語り口で話されます。

 さらにそんなカリスマ的な人物は必ずと言っていいほど「比喩がうまい」のです。森岡毅氏のここの発言では「ナスビはナスビにしかならん」というのが実にうまい。

 もともと「瓜の蔓に茄子はならぬ(うりのつるになすびはならぬ)」という諺があって、森岡氏はここからの連想で「ナスビ」を持ち出されたのだと思いますが、「ナスビはナスビにするしかな

ナスビ

ナスビ

い」というのは完全に森岡氏の創作。これが心にストンと落ちる見事な決めのフレーズになっています。

 (ちなみに「瓜の蔓に茄子はならぬ(うりのつるになすびなならぬ)」ということわざは「平凡な親から非凡な子が生まれない」という意味で、瓜よりナスビの方が高級ということが前提の諺です。森岡氏の言われるナスビとはちょっと意味が違います。)

強みを見つけるカギは動詞の中に!

 弱みを克服するよりも強みを伸ばせ、と言われても自分の強みは何か、そもそも自分に強みなどあるのだろうかと懐疑的になる人がほとんど。森岡氏はそんな人に自分の強みを見つける具体的な方法も教示してくださいます。

 「原理原則を語り、しかる後に必ず具体的な方法を示す」これがビジネスリーダーの基本です。

「人と比べるからわかんなくなるんです。人と比べるからわかんなくなる。自分の中で『好きだな』『やってておもしろいな』っていう行為、動詞の中に、えっと、ヒントがあるんです。」

「そこは動詞じゃなきゃダメなんですね。」

「動詞じゃなきゃダメ、な、カバンが好きだ、とか。カバンが好きだから、えっと、カバンに関わる仕事をしようっていう考え方じゃなくって、カバンもそうかもしんないですけど、なんか、自分ならでのものをデザインするのが好き、だったら動詞になるんですよ。」

「なるほど。」

「その中に自分の何らかの、えっと属性的な強みが入ってるんです。それがもしかしてその、まデザインセンスなのかもわからないし、新しいもんで、クリエイティビティ―かもわかんないし、それが、あの、プロとして食べていける自分の特徴に、なんかたどり着くんです。」

動詞の中にヒント

いくぞ!  これからの時代は、目標とする「あるべき生き方」がますます見えにくくなっていきます。

 ですからこれからの時代を生きてゆくみなさんは、卒業を控えた時期だけでなく、人生のいくつかの節目で必ず立ち止まり、自分の能力や適性を「棚卸し(たなおろし)」し自分の進む道を修正しながら生きなければなりません。

 そんな時、あなた自分をしっかりと見つめ、あなたのやるべきことを「動詞」で考えてみることが大切なのかもしれません。

 

 

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