彼は日本人だ!(日本と中国の遠い距離)

日本と中国の国旗地図essay

私の中国歴

 ほぼ20年間、日本の京都という狭い場所で、ひたすら化学研究に打ち込む生活を続けた後で、中国関係の仕事に従事することになった。初めて受けた中国ビジネスセミナーの講師の最初の言葉が「人生には上り坂と下り坂の二つがあります。中国ビジネスに携わる皆様にはもう一つの「さか」が加わります。それが「まさか」です。」

上り坂、下り坂、まさかs

 以来、中国との関係は続いておりまもなく20年になろうとしている。今でこそ、大学で日本語を教えるという“おとなしい”仕事で“老後”を過ごしているが、こんな私にもかつては「マサカ」の連続の中に身を置いていた時期があった。

8年前、総経理時代の日記から

 以下は、2014年8月に書いたもの。2012年常熟の小さな会社に総経理として赴任し3年目、最も濃密なる中国生活を送っていた時期に書いたものである。

トラブル発生

 一人でも多くの日本人が中国という国を理解し好きになるように、そして一人でも多くの中国人が日本人と友好的な関係を結ぶように。そのような青年じみた理想というか、こだわりのようなものがありここ中国の地で働くことを希望した。

 むろん現実はそのような青臭い理念が通用するはずもなく、どろどろとした日常を送ってはいる。学術研究でもしているのならともかく、日ごろ日系企業の幹部の一人として実務に従事してい社長の椅子るわけであり、必然的に外国人として中国社会の生々しい現実に触れることになる。日本で半世紀ばかり生きてきたが、日本ではついぞお世話にならなかった警○というものに引き立てられた事もある。もちろん自身がとがめを受けるような行為をしたのではないということはあらかじめ言っておかなければならない。

 どこの国にも、悪賢い者というのはいる。そういう者にとっては、裕福な国からやってきて、専用の執務室で涼しい顔をして仕事をしている金持ちの日本人からなら、少々金をまきあげようとたくらんでも不思議な事ではない。彼は私の会社の総務部に所属し、社用車の運転手であった。

 彼の運転する車で仕事に出かけていた複数の女性社員から、彼からの、ある種“セクハラ”的な行動の報告を受け、立場上面接を行った。

 もともと問題の多い従業員ではあったが、その際も私の質問に答えようとせず、黙秘を決め込んだ。私の方もイライラしていたのかもしれない。腹立ちまぎれに横にあった小さな腰掛けを彼に当たらないように蹴とばして倒してしまった。もちろん故意であれ過失であれ、中国では人を殴ったり、人に物を投げつけるような行為は、ご法度である。そのことは重々承知しての行為である。

 しかし、彼はいきなり私が蹴とばした椅子が倒れた方向とは反対側の腕の肘を抑え、私の蹴り倒した椅子がその部分を傷つけたと訴えたのである。彼は社内中に総経理が自分にケガをさせたと大声で触れ回り、あげくの果て丸々三日間、私の執務室のソファーに寝そべり動かなくなった。

ソファーに陣取る元運転手

 私が無視すると知るや、次の日には屈強なる見かけの男どもまで動員し、複数人で私に迫る。要は、なんとかして私が実際に手を出すのを促しているのだ。

警察で事情聴取

 にらみ合い状態のような状態が2日間に渡って続き、見かねた周囲の者が警〇に連絡し、めでたく取調室での調停ということになった。問題はその時の彼の証言である。彼自身は蘇北出身である。江蘇省の北方地帯の中国語は所謂普通語から遠いものではない。上海語・常熟語を筆頭に蘇州語、無錫語といったその地で育たねば中国人でも全く聞き取れない方言とは異なり、普通語そのものが“訛った”ものであり浅学の自分でも多少は理解できる。彼の中国語はその種のものであった。

公安 理解できるとは言ってもやはり外国語である。なにか薄紙一枚隔てたような、つまり自分に対する糾弾というよりテレビでも見ているような、つまり他人事のように彼のお上に対する訴えを聴いていたように思う。が、そのほんの小一時間程度の取り調べの中で、彼が表題の言葉を何の脈絡もなく幾度となく繰り返すのを聴いた。彼は日本人だ!の後には推定で次のような言葉が並んでいたに違いない。

彼は日本人だ!(だから暴力をふるうのだ。)

彼は日本人だ!(だから中国人をいじめるのだ。)

 かの運転手は、お上に訴える時に相手の国籍(日○)を連呼すれば自分に対する印象が良くなると思い込んでいるかのようであった。中国好きの私はそのことに痛く傷ついた。

 上のことがあって、間もなく半年になろうとする。

 今に至っても彼が連呼した表題の言葉は私の耳に貼りついて離れないままである。

日本と中国の国旗 中国と日本は一衣帯水の隣国であるという。こそには文字通りの意味しかない。この言葉自体は中国と日本は一つ狭い海を隔てた隣国であるという位置関係を示しているに過ぎない。問題はその言葉に続くべき、だからどうしなけれならない、という具体的な言葉だ。

 お題目としての日中友好を叫ぶより、両国民に根強く鬱積する相手への不信感を、少しずつでもほぐしていく具体的な手立てはないものなのだろうかと強く思う。

(2014年8月 常熟にて)

 

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