南通市如東の国清寺

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先日、かねてより訪れてみたいと思っていた、南通市北方の如東(ルードン)県にある国清寺へ行った。南通東駅からバスで小一時間、如東のバスターミナルを出てナビを頼りに徒歩約30分、あっけないほど簡単に着いた。

国清寺

南通は海に面した沿岸都市である。中国大陸は東シナ海に面してまるく突き出した形になっているが、それをざっくり人の横顔だと思えば、上唇が上海、下唇が寧波にあたり、鼻に当たる部分が南通と思えばよい。残念ながら鼻は決して高くはなく、大陸の横顔は美男もしくは美女とは言い難い。

場所柄、古来海の向こうからいろんなものが流れ着いた。海の向こうは日本である。838年7月21日、日本から流れ着いたのが遣唐使船に乗った円仁(慈覚大師)である。円仁は最澄の弟子で、最澄が持ち帰ることができなかった密教を学ぶため入唐し、天台宗に密教をもたらした人、だそうである。”だそうである”という風に自信なげに書かねばならないところが、理系人間で歴史音痴の悲しいところだが、上のことは高校の歴史の教科書に書いてあるレベルの話である。

-円仁は船を降りた。
-真夏の大陸の熱砂を、素足の足裏に感じた。
 こんな風に書けたら小説家になれるのかもしれない。
 
ともあれ、中国に着いた円仁一行が最初に求めた宿が現在の南通市如東県の国清寺。そのような日本人にとってはありがたいお寺であるから南通に来たら一度は訪ねてみたいと思っていた。ところで先に、バスターミナルから徒歩30分といったが、地図で見ると以下の場所。円仁の頃と場所がかわったのかもしれないが、ずいぶん内陸にある。
 
そのあたりの種明かしになるのかどうかわからないが一言付け加えよう。南通の歴史を見る場合、実は地形の変化も大切な要因になる。4~5000年前この地は陸地であった。しかし約2000年前、現在の大南通に当たる部分は一度すべて海になっている。その後長江からの土砂堆積、海底造山活動、気候変動などが相まって隋唐時代以降、急速に陸地が再形成された、という。つまり、“鼻”の部分は一度失われて再生されている。このあたり千年二千年のレベルでは海岸線の大きな変化のない日本とは事情が異なる。
 
円仁が流れ着いたころの南通はおそらく以下のような地形であった。
 
9世紀ごろの南通
 
 なるほどこれなら
-円仁は船を降りた。
-真夏の大陸の熱砂を、素足の足裏に感じた。
-かれは、当座の宿を海辺の寒村にあった国清寺に求めた。
 
という具合に続けてもよいかもしれない。
 
  こういうことまでは教科書には書いていない。本当はどうかということも専門家ではないのでわからないし、あまり深く追求しようとも思わない。あちこち散歩しながらこういうことを考えるのが好きなだけである。

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