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日本を学ぶ(17)遣唐使の時代Ⅰ

第一回遣唐使は、推古天皇の後を継いだ舒明天皇即位の翌年630年となった。初めての遣唐使は唐の二代皇帝である太宗(在位626-649年)の歓迎を受け、632年に太宗の使者を伴って帰国する。しかし、第一回遣唐使派遣後、しばらくの間、派遣は中断される。
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「心配り」「心遣い」「気配り」「気遣い」の違い

〇 暖かい心配り、暖かい心遣い、✕ 暖かい気配り、暖かい気遣、  ✕ 失敗しないよう心配りする、失敗しないよう心遣いする、〇 失敗しないよう気配りする、失敗しないよう気遣いする、【原則】「心配り」「心遣い」はやさしさ、「気配り」「気遣い」は技能
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日本を学ぶ(16)人間空海(後編)

 806年、空海は日本に帰国する。31歳の若さではあったが、インド由来の密教の正式な後継者として日本に戻ってきたわけである。日本を離れてわずか2年しかたっていない。本来留学僧は20年間中国で学ぶルールであったものを、空海は学ぶべきものは学び終えた、とでも言わんばかりに2年で帰ってきた。そ
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日本を学ぶ(15)人間空海(前編)

神話、伝説上の人物は除外しよう。その人の生きた足跡が、ある程度正確に辿れるという前提で、日本史における天才を数人挙げてくださいといえば、かなりの確率で空海がその中に入るのではないか。さらに、世界史上、天才と言われた人物の中で、一般民衆から、もっとも親しみをもって敬愛されている人物、その答えもまた空海ではないだろうか。
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日本を学ぶ(14)聖徳太子の時代(後編)

真実は一つである。聖徳太子が、実在の人物であったか、あるいはかつて言われたような数々の業績を、本当になしたかどうか、という問題にもなんらかの結論が出される日がくるかもしれない。しかし数々の伝説とともに、その後の日本人、日本人の生活に影響を与え続けた聖徳太子
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日本を学ぶ(13)聖徳太子の時代(前編)

飛鳥時代(592―710年)は、推古天皇、聖徳太子による国家体制の整備から始まる。飛鳥時代の始まりは現在の奈良県奈良市の南方、明日香村、および後に聖徳太子が移った西北方の斑鳩(いかるが)が飛鳥時代初期の舞台である。 ところで、本稿の主人公である聖徳太子の墓は奈良県ではなく
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日本を学ぶ(12)京都嵐山にて(後編)

東京で学んでいた周恩来は、帰国の船に乗るために神戸に向かう。途中、京都の嵐山に寄った。21歳の周恩来は、雨の嵐山を散策し何を思ったのであろう。徳川初期、角倉了以が初めて架けたという渡月橋に立ち、美しい大自然の風景に身をゆだね、それらを作り出し、保持してきた過去の先達にしばし思いを馳せてみよう。
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日本を学ぶ(11)京都嵐山にて(前編)

 京都については、本書でも今度、何度か取り上げていくが、最初に京都文化の基底に近い部分を紹介したい。私たちはまず、京都盆地の西北の頂点にあたる部分、嵯峨野嵐山からスタートする。都江堰は、秦がまだ中国全土を統一する前、関中の一王国に過ぎなかったころに建設されたものである。秦はこのようにもともと治水土木工事を得意としていた
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日本を学ぶ(10)漢字伝来のころ

魅力的な宇治だが日本文明発祥の大和盆地の北、千年の都京都の南にあるという場所柄、宇治は日本の歴史の中で重要な役割を果たしてきた。今回は、古代日本が大陸から漢字を受け入れてきた経緯を探り、その過程で重要な役割を果たした人物を探っていきたい。
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日本を学ぶ(9)天皇の誕生 神武東征

二ニギのひ孫にあたるイワレビコという神が日向(ひむか)の国を治めていた。おそらく当時の九州は火山活動も活発で、大規模な噴火も頻発。気候変動のたびに食物が不足し、結果、人々の争いの絶えない時代であったろう。「天下を平定するために東へ向かおう」と、イワレビコは日向を出発し、北九州筑紫へ。さらに本州へ渡り、現在の山口県、広島県、岡山県、兵庫県と東進する。
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