徒然なるままに…

中国5000日(27)《余話》21世紀と私
これまでの話もそうですが、こちらに書いていることは事実とは異なる部分が多数あります。特に登場する人物に関しては特定の人物を指すことはありません。念のため 世代 脱線する。さきほど21世紀という言葉を使った。21世紀。そう言えば、しばら...

中国5000日(26)《余話》21世紀と私と中国
思い返してみると、私と中国との関わりは2001年に始まっている。それ以前、技術者としての仕事の上で海外といえば、アメリカ以外になかった。外国語と言えば英語のことであり、これをマスターするために懸命であった。英語、国際会計、原価計算がビジネスマン三種の神器と言われた時代だ。そして大袈裟に言えば、私の人生の中では、以後も中国との関わりなど公的私的を問わずあるとは考えていなかった。あってほしくもなかった。

中国5000日(25)人生は舞台
なにしろ中国で五年間、会社のトップに当たる総経理を5年経験し、時を移さず、今度は5年以上教師をやっているのである。そういう立場のどちらかを経験した人は無論少なからずいるだろうが、その双方を経験した人間は私の知るところいない。日本に置き換えて中堅企業の社長、学校の先生と考えると悪くないではないかと思えるが、ちょっと違う。

中国5000日(24)中国で総経理、中国で日本語教師。結果は?
「あの方はいわゆる総経理臭のない方ですから気軽に相談にのっていただけると思いますよ」 就職活動をしていた頃、上海の某就職斡旋会社の若い女性からこんな言葉を投げかけられた。「総経理臭」という初めて聞く言葉が印象的で今でもそのことをよく覚えている。私自身、中国ビジネスに多少は関わってきていたので

中国5000日(23)スイカ甘いかしょっぱいか?
これまでの話もそうですが、こちらに書いていることは事実とは異なる部分が多数あります。特に登場する人物に関しては特定の人物を指すことはありません。念のため。 Look Back 2012年、日本を離れ中国の上海にほど近い町常熟で見事にカ...

中国5000日(22)常熟で仕事を始める
まずは、会社の誰よりも早く出勤した。6時半には作業服姿で玄関の掃き掃除を始める。7時過ぎに社員たちがぼつぼつと出勤してくるが、新入りの総経理として一人一人と、朝の挨拶を交わした。この習慣は総経理であった期間中、欠かさなかった。 そういう”日本的”なことはやらない方がいい、と多くの日本人は思っている。掃除はしかるべき低賃金の人間がやるもの

中国5000日(21)常熟へ
常熟での生活が始まった。仕事を離れていた期間は1年以上と長かった。何よりも自分以外全て中国人という環境は初めてだった。自分に何らかの注文をつけてくるべき、本社社長は、現地管理については好きなようにやってくださいとのことであった。責任は重い。しかし、不思議とプレッシャーは感じなかった。好きなようにやろうとわくわくしていた。

中国5000日(20)55歳の留学生
新しい勤め先は江蘇省常熟市であったが、東京にある本社社長のはからいで、事前に二ヶ月間中国語の勉強をさせていただくことになった。常熟の現地法人は従業員200名ちょっとのプラスティック加工工場であったが、前任者との引き継ぎを終えた後は、一人で管理業務をすることになる。通訳はいないので中国語は必須であった。

中国5000日(19)ゼロからスタートする意味
人間というものは、生きる時間が長くなるにつれ、持てるものになる。地位であり、お金など、私は何もありませんという人間にも、家族、学歴、積み上げた経験であったりいろんなものが纏わりついている。中でも地位や名誉はやっかいだ、失いたくない。自分の失敗は隠蔽したがる。逆にライバルの失敗を喜ぶ。少しでも自分が劣っておると見るや、嫉妬し、蹴落とそうとする。

中国5000日(18)学天則Ⅱ
度尽劫波兄弟在,相逢一笑泯恩仇。(隔たりは遥かに遠いが、苦難を越え長い年月を渡り尽くせば、我々もとより兄弟ではないか。遭って笑えば、深い恨みも消え去るだろう。)事実は一つだが、真実は一つとは限らない。