徒然なるままに…

中国5000日(21)常熟へ
常熟での生活が始まった。仕事を離れていた期間は1年以上と長かった。何よりも自分以外全て中国人という環境は初めてだった。自分に何らかの注文をつけてくるべき、本社社長は、現地管理については好きなようにやってくださいとのことであった。責任は重い。しかし、不思議とプレッシャーは感じなかった。好きなようにやろうとわくわくしていた。

中国5000日(20)55歳の留学生
新しい勤め先は江蘇省常熟市であったが、東京にある本社社長のはからいで、事前に二ヶ月間中国語の勉強をさせていただくことになった。常熟の現地法人は従業員200名ちょっとのプラスティック加工工場であったが、前任者との引き継ぎを終えた後は、一人で管理業務をすることになる。通訳はいないので中国語は必須であった。

中国5000日(19)ゼロからスタートする意味
人間というものは、生きる時間が長くなるにつれ、持てるものになる。地位であり、お金など、私は何もありませんという人間にも、家族、学歴、積み上げた経験であったりいろんなものが纏わりついている。中でも地位や名誉はやっかいだ、失いたくない。自分の失敗は隠蔽したがる。逆にライバルの失敗を喜ぶ。少しでも自分が劣っておると見るや、嫉妬し、蹴落とそうとする。

中国5000日(18)学天則Ⅱ
度尽劫波兄弟在,相逢一笑泯恩仇。(隔たりは遥かに遠いが、苦難を越え長い年月を渡り尽くせば、我々もとより兄弟ではないか。遭って笑えば、深い恨みも消え去るだろう。)事実は一つだが、真実は一つとは限らない。

中国5000日(17)学天則Ⅰ
S総経理から突き返された親展封を、ぼんやり見つめていたあの時から4年の間に、私の精神は少しずつ、少しづつ壊れていったのかもしれない。私にとっての“失われた1年”、薬漬けの一年は2011年のことである。そこに到る4年間のことについて、一つ一つの出来事は覚えていても、ほとんどは前後関係があいまいである。やがて忘却のかなたに消えていくにちがいない。完全に消失する前にメモ程度に残しておこう。

日本にいちばん近い中国 南通から 2025年Ⅱ
確かに南通市のこれまでの発展のスピードは目を見張るものがある。が、日本人にとっては寂しい面もある。駐在する日本人の減り方が著しい。経済開発区から撤退する企業が相次ぎ、かつて千人以上が常駐していた駐在員が今では200人程度という。かつてにぎ...

日本にいちばん近い中国 南通から 2025年Ⅰ
出張で初めて南通を訪れたのが2004年秋、二十年以上前のこと。中国滞在の多くの時間を南通で過ごし、発展する中国の姿を目の当たりにしてきた。 昨年は南通にも地下鉄が開通しちょっと出かけるのに随分楽になった。自宅から歩いて五分圏内にローソ...

中国5000日(16)Re:S総経理様
これまでの話もそうですが、こちらに書いていることは事実とは異なる部分が多数あります。特に登場する人物に関しては特定の一人を指すことはありません。念のため。 2024年 南通 中国は、社会も人も変化が早い。中国について何か言う時、いつ時...

中国5000日(15)人生最長の手紙は5000字、しかも中国語!
これまでの話もそうですが、こちらに書いていることは事実とは異なる部分が多数あります。特に登場する人物に関しては特定の一人を指すことはありません。念のため。 2006年6月29日成田発MU524、上海行き 2006年6月29日、中華東方...

中国5000日(14)常熟、沙家浜の物語
江蘇省常熟市、長江沿いの野猫口 前回ご紹介したように、今では、中国の治安のいい街ベストテンにでも入りそうな常熟。実は戦争の傷跡が残っている。 1937年8月、第二次上海事変が勃発する。すでに7月7日には北京郊外で盧溝橋事件が起こり、...