旅の備忘録 25初夏 雲南昆明Ⅵ 滇池西山ロングウォーク

西山ロングウォーク

4万歩ウォーキング

 この日、総歩数は4万歩となった。こんなに歩いたのは初めてではないだろうか。

 9時半、3号線で終点の西山公園へ向かう。一昨日、行った车家壁彝族村から、視野の右端に見えた西山の一部に上ることになる。龍門洞窟まで歩く予定。洛陽の龍門石窟ではなく、龍門洞窟。ややこしい。下図では水色の線の初めからスタート、左端に龍門洞窟とある。途中から急こう配、階段となる。駅を出てしばらくは、ウッドデッキ風の上りやすい遊歩道が続く。快適である。

滇池西山観光案内図

滇池西山観光案内図

華亭寺

 私の歩く道は、81年司馬遼太郎の「雲南のみち」の旅とは逆方向になる。まず、マイクロバスの司馬さん一行が帰路立ち寄った、山の中腹にある華亭寺に着く。
 「街道をゆく」で司馬さんは、境内のタイサンボク(泰山木)について語っておられたので、はてどれだろうと探すが、見つからない。40年以上も前のことだからやむを得ない。天王宝殿の仁王像はあったが、司馬さんが目を付けた扁額「海不揚波」の文字はない。

扁額に
「海不揚波」
と、彫られていた。海、波ヲ揚ゲズ、というのは、日本でいう四海波静かと似た言葉で、いずれのことばも戦乱がおこらぬことを言霊で祈念している。(中略)
 寺の名は華亭寺という。清朝のもので、一時焼け、民国時代に再建されたらしい。建
立のときも、再建のときも、この世に戦乱あるべからずという祈念のもとに、仏法保護の天王たちをこの山中に奉置したものであろう。
 熱心におがんでいる初老の夫人がいて、きいてみると、地元のひとではなかった。アメリカの華僑の婦人であるという。
「海不揚波」
 海に波が揚らぬなど、ありうべからざることだが、しかしそうであればこそ人間の祈念があるかと思える。アメリカ籍かと思われるその初老の婦人は、泰山木のそばの小径を通って、山門のほうに消えた。
「街道をゆく」蜀と雲南のみち 司馬良太郎 から
 「街道をゆく」に記載されたものの痕跡が見つからず、あきらめて帰ろうとして、ふと本殿右の建物の前を通る。「海不揚波」の文字はそこにあった。
海不揚波

三清閣

 私は往路すべて歩きだったが、三清閣という銘板のあるところまでは遊覧車のようなもので連れて行ってくれる。門がありその先は直線の百段程度の石段が続く。三清閣という建物がどこにあるのかよくわからない。小さな門をくぐると、石段が続く。

 81年の司馬さんの西山登高記の出発点の描写は次のように始まっている。

バスがとまった場所は、Uターンできる程度の平坦地である。上の崖にも足もとの崖にも樹木が密生し、片側の視野いっぱいに滇池がひろがっている。
「ここは、何という山ですか」
「西山(睡美人山)です」李喬先生が言った。
「街道をゆく」蜀と雲南のみち
三清閣銘板のある場所
  門の向こうはすぐ石段。登りきったところに羅漢崖の扁額のみえる門があり、道教の霊官のおかれた堂がある。
 
道教の霊官 石段をのぼりつめると、一堂があって、閻魔大王かとおもわれるような像が、登ってくるわれわれをにらみすえている。
「閻魔大王ではなくて、道教の別の霊官です」
と、李喬先生がいわれた。
  霊官は目が三つ、眉もひげも赤く、上顎の歯をことごとくむきだし、甲冑をつけ、鉾をもって腰をおろしている。
「街道をゆく」蜀と雲南のみち から
続きます。
 

 

 

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