四ツ谷からホテルオークラ

ホテルニューオータニ
7月28日月曜日、東京では二泊する。すぐ栃木へ向かってもよかったが、一泊ごとに宿を変える周遊型の旅は、年齢的にきつくなってきた。大した用事がなくても一つ所最低二泊というのが、最近の私の旅行である。
明日の宿を予約してから、8時半に出る。今日も朝から暑い。9時過ぎ四ツ谷上智大前から『街道をゆく』で司馬氏が歩いた弁慶堀、清水谷公園を目指す。
駅から土手状の遊歩道になっおり、気分良くあるいていたら、気がつけばホテルニューオータニの敷地内に迷い込んでいた。ホテル裏の日本庭園を散歩する宿泊客がちらほら。しかたがないので、そのまま宿泊客のふりをしてホテル内に入りホテル入り口から退散する。
玄関でポーターさんに行き先を聞かれ、清水谷公園と答えると、ずいぶんていねいに教えてくれた。中から出てくれば、ていねいに対応するのも当然だろう。
『街道をゆく』東京編の司馬遼太郎さんの定宿は昨日のアメリカ大使館横のホテルオークラだったという。オークラかオータニかしらんが、ついぞそのようなホテルにはご縁の人生だったなあと、瞬間思った。
まずはグリーン車、次に飛行機がビジネスクラスになり、やがてファーストクラス。おそらくその次がオークラ、オータニレベルのホテルに宿泊というビジネスマンのステップアップ。一段も上ることなく終わっても、実は恥じることはない。それが大多数である。
清水谷公園へ
清水谷公園の大久保利通の哀悼碑の立派なこと。実は翌日、東大構内で弥生式土器発見の地の碑をたまたま発見することになるが、大久保卿の石碑を見た後だっただけに、薄っぺらで、なにやら哀れに見えた。
清水谷公園は小さいが、樹木が多く湧き水による小さな池もある。公園の中に入ると都心であることを忘れるような空間である。
大久保利通は、明治十一年五月十四日の朝、ここ清水谷の樹々の陰に隠れていた石川県士族島田一良ら六人の凶漢に襲われ、殺害された。四十九歳である。
大久保利通や山縣有朋は、あまり人気がない。少なくとも西郷隆盛のようにNHK大河ドラマで繰り返し取りあげられるようなことはない。だからといって西郷隆盛が幸せであるかというと、そうでもない。後世の評価なぞ、どうでもよいことなのだ。
豊川稲荷
10時半、豊川稲荷に到着。境内に入ると、百日紅の木。この夏の関東旅行では、各所で目に付いた。百日紅には照り付ける太陽が似合う。豊川稲荷、稲荷というがれっきとした寺、しかも本尊はインドの神さま、ダキニ天という。
豊川稲荷の豊川は愛知県の豊川市、こちらの豊川稲荷が本院となる。その本院の”豊川稲荷”というのが、実は通称で、曹洞宗妙巌寺という。この寺に、守護のためにインドの神がまつられ、結局そちらの方が有名になっていった、らしい。
『街道をゆく』によると、有名な大岡越前守の大岡家は三河発祥。大岡家は早くから、豊川稲荷を信仰していたのではないかというのが司馬遼太郎氏の考え。
もっともこのあたりは不分明で、忠相よりずっとあとの文政十一年(1828)に三河の豊川から勧請されたともいうが、忠相のあとも大岡家というのは忠相の名声のおかげでひとびとに親愛をもたれていたから、忠相と豊川稲荷とのむすびつきは、不自然ではない。
大岡家の屋敷はいまの赤坂小学校の場所にあった。
当然、豊川稲荷もその場所にあったが、大正四年赤坂小学校の敷地がひろげられたとき、お稲荷さんもすこし動いて、現在地に移った。
『街道をゆく』赤坂散歩
勝海舟、坂本龍馬像

勝海舟、坂本龍馬像
豊川稲荷から乃木神社、乃木邸あたりへ行こうと考えて歩き続けた。それにしても、昨日と同じ地域を歩いているのに、見知った景色に出会わない。赤坂通り、青山通り、一ツ木通り…、通り名は印象にあっても、東京を歩くと東西南北がわからないので、
「ああ、この先が昨日いった○○だから…」
という風な感覚がつかめない。通りが縦横しかない京都人の弱みと言い訳する。要は方向音痴である。
やがて見えてきたTBSのビルの向きで、ようやく昨日訪れた氷川神社のあたりがわかる。氷川神社をかすめ、見落とした勝海舟が住んでいた屋敷跡前にあるという勝海舟、坂本龍馬像を目指す。
像は比較的新しい。少なくとも『街道をゆく』の時代にはなかった。そして、屋敷跡は氷川小学校になっていた。
その小学校というのは、
「ええ、勝様のお屋敷だった小学校です。私は大正十一年に入学しました」という。
私もその小学校に行ってみたが、きれいな化粧タイル張りの門を持った学校で、門のそばに海舟の屋敷にあったという老樹がそびえていた。
『街道をゆく』赤坂散歩
今は昔である。
そば処「砂場」
勝邸跡から、そば処「砂場」まで250メートル。ようやく赤坂TBSを中心として、昨日から歩き回った場所の方向が、なんとなく把握できるようになってきた。いつも行列ができるという老舗の「砂場」、11時過ぎに到着したので並ばずに入ることができた。
司馬遼太郎さんも、赤坂散歩の取材中に行ったというそば屋さんである。ホテルオークラに宿泊することはできないが、ちょっと高めのそばをいただくことはできる。それで十分だと思っている。

砂場のそば
11時半、まだ時間があるので乃木希典邸をめざす。20年ぐらい前、東京赴任していた時、乃木邸は来たことがある。12時過ぎ千代田線乃木坂駅からいったん帰路。
15時過ぎ再び出。駿河台をへて新御茶ノ水から千代田線で湯島。不忍池。東大池之端門から入り、時計台。安田講堂地下の中央食堂でカレーを食べる。800円は安い。周りで食事をしているのは、みな東大生。この人たちは将来、ファーストクラスに乗り、オークラやオータニを定宿とするようになるのだろうか。なんとなくそんなことが頭によぎったが、そんなこと、どうでもよいような気もした。
正門を出て、突っ切るようにまっすぐ坂をおり、都営春日から一駅、水道橋のホテルに帰る。
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