「~ものだ」は理想、「~ことだ」は大切
「~ものだ」は理想状態
「ものだ」は理想状態やあるべき姿を人に示す時などによく使います。
- 学生は勉強するものだ。
- 包丁はよく研いで使うものだ。
「~ことだ」は大切なこと
「~ことだ」は大切なことを示す表現です。
- 成功したいなら勉強することだ。
- 料理がうまくなりたいなら良い包丁を使うことだ。
「~ものだ」は「~が理想」、「~ことだ」は「~が大切」ということになります。
ただ「理想」と「大切」とではよく似ているのでこれだけではうまく区別できそうにありません。別の観点からの違いを以下に説明しましょう。
「~ものだ」は客観的、「~ことだ」は当事者的
上の例文を比べてみると、
- 学生は勉強するものだ。
- 成功したいなら勉強することだ。
- 包丁はよく研いで使うものだ。
- 料理がうまくなりたいなら良い包丁を使うことだ。
「ものだ」は客観的な真理を述べているのに対し、「ことだ」は相手なり自分なり、当事者に対する言葉として発話されていることが違いです。つまり「ものだ(物だ)」は対象を自分から離れたものとして客観的に表現するのに対し、「ことだ(事だ)」は「……こと」という「……」の状況の中にいる前提で発話されるもの、という違いがありそうです。
つまり
「~ことだ」が当事者的ということ
以下少し専門的な話になりますが、以前、「~んです、~のです」のところで「の」による名詞化の効果について書きました。
「~こと」についても「名詞化」が役割ですから、「勉強することだ」は「勉強するという状況」に「ある(在る)」ということ。つまりいったん客体化した上でもう一度当事者としてその状況の中に入れる、というようなニュアンスがでてくるのではないでしょうか。
これに対して、「勉強するものだ」(物だ)はモノとして客体化したまま表しているという風に理解できないでしょうか。
「ものだ」「ことだ」の感嘆・詠嘆用法
ここまで説明しました「理想」や「大切なこと」を表す使い方の他に「ものだ、ことだ」には「感嘆・詠嘆」を表す用法があります。
「ものだ」は「希望」を述べる時、あるいは”よく”をつけて通常あり得ないことを示す時使い、「ことだ」は「感情」を表す形容詞とともに使いますが、これも「ものだ:客観的、ことだ:当事者的」という考え方で区別可能ではないかと思います。
ものだ | 希望を表す | 来年こそコロナが終息してほしいものだ。 |
「よく」がつき驚きを表す | よくあんなことが言えたものだ。 | |
ことだ | 感情を表す | みんな元気でありがたいことだ。 |
ずっと隔離なんて腹立たしいことだ。 |
以上、中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック(スリーエーネットワーク社)などを参考にさせていただきました。
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