旅の備忘録 26新春 厦門Ⅰ厦門で橋幸夫?

空からみたコロンス島

2025年、年末 

 中国の大学で教師という仕事をしていると、学期中は週末も含めてなかなか動けない、というか動く機会がない。
 私の場合、住居も大学の構内にあるので、一学期の間、下手をするとキャンパスとその周辺から一歩も出ずに生活することになる。特に9月からの今学期はそうであった。この点、やたら出張の多かった駐在員時代とはずいぶん違う。
  2025年の暮れも押し詰まってきた12月28日。今学期は来月、つまり来年の1月5日まであるのだが、現時点で担当の講義は終え、期末試験も作って教務に提出してしまった。学生さんたちは、これからが忙しいが、教師の私は暇になった。残る仕事は最終日5日の試験監督と採点だけとなり、急にやることがなくなり、例年通り手持ち無沙汰な毎日となる。
 この時期は、体のオーバーホールと、次学期のネタ探しをのんびりやり、年越しは南通を離れる。

厦門へ

南通を離れ、南へ

南通を離れ、南へ

 昨年の年越しは北京へ行った。久しぶりの北京も悪くはなかったが、寒いのと、何より、”官”の臭いというのだろうか、一年を振り返りゆったりと体を休めるために滞在するには、首都北京は、少し“窮屈”という印象を受けた。
 せめて休暇の間だけは、開放感を味わうべきだろう。と、今年の年越しはやっぱり南の方にしようかと、しばらく前から決めていた。結局、厦門で年越しすることにした。駐在員時代、取引先があり、何度か行ったことがある。

 大学から空港は近い。南通興東空港までタクシーで30分もかからない。朝、ゆっくり目に出て12時搭乗、2時間のフライトで厦門に着く。日本より近い。
 厦門の空からの印象は、白い建物が多い。中国らしくないのがいい。空港の建物の内部も、中国特有のけばけばしさがあまり感じられず落ち着いたいい雰囲気である。現地屋外は20℃近い、薄手のダウンを着てきたが、これでは暑い。
 空港近くに地下鉄駅はなく、まずBRTで市中心へ向かう。この町のBRTは専用線を走っており他の自動車は走れないようだ。快適にスイスイ走ってくれる。他の町のBRTのように、他の自動車と同じ道を走っていてはBRT(Bus Rapid Transit)の名がすたるというものだ。厦門鉄道駅で地下鉄に乗り換え、中山路近くのホテル最寄り駅莲花路口まで行く。
 明るいうちにチェックインできた。休憩後散歩にでる。コロンス島(鼓浪屿)が見える海辺へ向かう。コロンス島の先端に鄭成功の石像が見える。

厦門島側からコロンス島鄭成功石像を望む

厦門島側からコロンス島鄭成功石像を望む

 かつて南通の現地法人に駐在していたころの、おそらく最後の出張先が厦門であった。あれは2010年の秋だろう。出張の相手先の会社の記憶はまったく残っていないが、仕事の後、ホテルから散歩に出て歩いた。鄭成功の像と、人気のない西洋建築風の大通り、埠頭の風景が断片的に記憶の中に静止画としてある。実は、この旅では、記憶の中の思い出の風景を見た場所を確認して見たかった。
 確かに鄭成功の像は、かすかに記憶の中のそれと重なった。しかし、それ以外に記憶の中の埠頭や街角の風景について、重なるところは見つけられなかった。

映像は消える、音楽は残る

 記憶の中の風景ほど、あてにならないものはない。確かに現実の港の風景も時代とともに変わっていることもあるだろう。しかし、記憶の中の風景も、頭の中で何度も再生を繰り返すうちに、本当のイメージとは大きく変わってしまうことが多い。そんなことをよく経験する。なにかの本で読んだことがあるが、記憶の中の風景は、思い出すたび頭の中で、さまざまな類似パーツを寄せ集めて再構成されて作られるという。だから、少しずつ変化していく。

埠頭沿い道路の反対側の鹭江宾馆、記録によると駐在員時代はこの高級ホテルに宿泊していたようだが全く記憶にない

埠頭沿い道路の反対側の鹭江宾馆、記録によると駐在員時代はこの高級ホテルに宿泊していたようだが全く記憶にない

 少し状況は違うが、例えば幼い頃憧れた異性に、年を経て再会しても幻滅することが多いという話を聞いたことがある。それは外見上の変化もさることながら、自分の中で美化し続けて、理想に近くなった記憶の中の対象と、現実の姿との増幅された差に気がつくためと説明されると納得する。
 初恋の人には、再会すべきでないというよく言われる道理である。

『雨の中の二人』

BGMは『雨の中の二人』

BGMは『雨の中の二人』

 15年前、歩いた厦門の埠頭はどの位置だったのか、けっこう広範囲に歩いてみた。が、結局ここだという所は見つけられなかった。憧れの異性の話から見ると、それはそれでよかったではないか、ということになる。
 ただ15年前より、埠頭は明らかに賑やかであった。歩いているうち、ふと聞き知ったメロディが聞こえてきた。昭和40年代だろうか、私が小学生時代だろうか、流行った、橋幸夫『雨の中の二人』のメロディーである。
 中国人歌手によるカバー曲なのだろう。手提げ型のスピーカーを路上脇に置いて、曲に合わせダンスをしている中年カップルがいた。昔は中国で日本の昔の歌謡局のカバー曲をよく聞いた。さいきんは久しくそういうものを聞かないので、不意を打たれた。意外さと、懐かしさ。なにか探していたものに出くわしたような気分がした。

 少し足を止め、聞き入っていた。ちょっと懐かしい中国をここ厦門で見つけた。同時に、映像の記憶はすぐに分裂するようでも、音楽のメロディーの記憶というのは少しも傷つかず保存されるものなのだと、ちょっと不思議な気もした。

続きます。

 

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