前回 → こちら
博物館、夜市へ
気分的には、すでに”オナカイッパイ”状態。鄭成功上陸の地を今回の旅の最終到達地とした。鹿耳門天后宮まで戻ってもまだ13時半。朝ホテルで言われた通り、廟前のセブンイレブンでタクシーを呼んでもらい、14時にはホテルに戻った。
今回三泊の予定。初日がほぼ移動のみだったので、実質二日。あっという間に最終日である。明日は帰国だが、なかなか中身の濃い旅行であった。
残りの時間は好きなように使う。国立台湾歴史博物館へ行き、ゆっくり展示をみて、せっかくの台湾なので、夜は有名な夜市へ行ってみた。
国立台湾歴史博物館

国立台湾歴史博物館
歴史博物館はホテルから少し距離がある。タクシーで約40分。上の写真が常設展の大半。横長のフロアがゆるく四分割されており、向こうからオランダ・鄭成功時代、次が清の時代、手前大きく見えるのが日本の統治時代、写真では見えないがその次が中華民国(~現代)の展示。
ここの展示品を細かく説明するのではなく、イメージで理解させるような展示。佐倉の国立歴史民俗博物館に似た感じの新式の展示だ。
これまでの記事中の何枚かの写真(ゼーランディア城の古地図)などは、ここで撮った写真である。
大東夜市

大東夜市
台湾に来たら、夜市ぐらいは見ておいた方がよういだろうと夜出かけてみる。台南では、曜日によって開かれる夜市の場所が変わる。本日(6日)金曜日の夜市、大東夜市に行ってみる。駐車場のような場所、広さは小学校の運動場ぐらいだろうか。
昔、台北だったと思う。現地の商社マンに連れて行ってもらった狭い道に延々と店が続くものとは明らかに違う。
台南でも、いちばん規模の小さい夜市らしい。それでも、なぜかこういう場にくるとわくわく気分になるのは、たぶん自分だけではないだろう。
旅のおわりに
最後に台湾の人々、特にタクシーの運転手さんについて書きたい。
台湾を一人で動くのは初めてなので、ホテルのフロントはもちろん、けっこう、道行く人にも道がわからないふりをして話しかけた。雰囲気で優しそうな人を無意識に選んでるからなのかもしれないが。半分ぐらいの人は、ある時点で私が日本人だとわかると、笑顔になるというわけではないが、女性なら、急に花が咲いたように明るくなる。
「え、日本人なんですか!」
と、急に饒舌になる。
最初に新幹線駅からホテルまで運んでくれた運転手さんの話は、最初に書いた。
博物館の受付の女性は、私が入館したあとにわざわざ席を離れ、追いかけてきてくれて、
「あなた、もしかして日本人?だったらこれも見て」
と、日本語版の手引きを渡してくれる。
親日という言葉だけでは、表せない何かがあるような気がした。台湾人、奥が深い。少なくとも中国人とは根本的に違う何かが、この人々の心の奥底にあるような気がした。これから時間をかけて考えていきたい。
備忘録として、二人のタクシーの運転手さんが語ってくれた内容をメモしておく。
大東夜市からホテル(女性、娘は受験生)
50代、普通のおばちゃんといった雰囲気。

開山路の鄭成功像
「おお、日本人か。私は先月日本に言ったよ、友達と。東京。いや、きれいだね~、清潔そのものだね~。安心した。いやいや、娘がね。今高三なんだけど、日本の大学に行くって聞かないんだよ。
(なるほど、そういう事情か)
だから東京行ってみたのさ。いや、あれなら大丈夫だ。うん。あなた一人で来たの?へー、友達とかと来なさいよ。(ほっとけ)鄭成功?だれそれ?、ああ、あれね。
ここ曲がると、大丈夫遠回りじゃないから。この人でしょ。
(開山路と、確か彼女は教えてくれた。そこにもかなり立派な鄭成功像があった。上の写真は車内から撮ったもの)
博物館からホテルへの帰り(男性65歳ぐらい)
もっとも印象深かった、話好きの運転手さん。小林亜星(若い人はわからないかも)に似た雰囲気の人だった。
「日本人だろ、さっきの電話でわかったよ。仕事?あー、もうリタイアしてんの。博物館いってたの。なるほど。その横、TSMCだから、日本からいろいろ教えに来てる人かと思ったね。」
いやいや、それは昔の話でしょ。今は台湾の方が進んで日本の半導体なんで周回遅れですよ、と言っても彼は取り合わない。
「何言ってんですか。TSMC支えてんのは日本の技術だよ。台湾人は汗流して働いてるだけよ。あんたの帰るケンブリッジホテル、日本の偉い技術者いつも泊ってるよ。台湾の先生、いつまでも日本よ。」
いや、いまやそれは事実ではない。日本には失われた30年という言葉があって……
言おうとするがとりあわない。

台湾のタクシー
「アメリカ、大国。中国、大国。日本、大国。でしょ。台湾、ちっこい島ね。大国の間に挟まって……」
私は彼のこの言葉に、実は驚いた。今、世界中のどこの国の人が(特に日本人が)、アメリカ、中国、日本を三つ並べて、すべて大国と形容するだろうか。しかし、よく考えてみれば、台湾という視点から見れば、日本も大国のひとつになるのではないだろうか。
人の立場に立ってものを考えよ、とはよく言う。多くの人が軽々しくそういうが、実際にできることではない。人間は多くの場合、自分のことしか考えない。だからこそ、人の立場に立てと、常に言い続けることも必要だ。
そのような意味で、私たち日本人は、台湾人の立場に立つことはできない。ただ少しでも彼らを理解しようと思ったとき、
「日本は我々より優れている、日本は大国だ」
そう、おそらく本人も心の底では認めていない、この言葉を私は日本人として忘れてはいけない、と思った。
たまたま娘を留学に出す人に当たったからというわけでもないだろう。新幹線の駅からこちらに来るときの男性もえらく日本通で話が弾んだ。この二日、せいぜい6,7回しかタクシーに乗ってない。そのうち3人が、偶然日本通、日本好き、だったとは考えにくい。
日本が好き、というより、台湾人は、日本人が台湾に対するより、はるかに高い関心を”大国”日本に向けてくれている、それだけは事実といえる。
2月7日帰路
あとは、帰るだけとなった。台南駅まで歩いてすぐだ。ホテルをチェックアウトして、さてどちらの方向だろうとスマホを取り出すはめになった。
台南に三泊した。鄭成功が台湾に入った経路はしっかりと認識できるようになったが、逆にホテルの近所の東西南北がいまだに、わからない。
一つ言い訳すると、ここ台南の街は似たような風景がいくつもいくつも続いている。そんな街だ。ランドマークとなる高い建物が見当たらないのも、原因の一つだろう。
来るときは新幹線だったのですぐそばになるはずの台南駅がいまだにわからない。最初に到着したのが台南駅で、そこを頭の中で座標の原点にして動いていれば、よかったのかもしれない。
エバー航空BR148便 15時25分高雄発
台南から高雄へ1時間少々、鉄道の旅。
高雄で一服して、地下鉄で空港へ。
15時25分定刻に離陸。
機体が安定したころ、窓から台南の街を見た。街の中心部が、きらきらと河原の石のように見えるのは来たときと同じ。
海岸線に目を移すと、偶然。ちょうどベストアングルで特徴ある漁光島――例の2番バスを降ろされた三鯤鯓のある島――、を中心とする眺望が目に飛び込んできた。
鄭成功時代の砂州の全貌、その先端部にあったと思われるゼーランディア城の場所。はるか北には、少し霞んで鹿耳門と思しきあたりまで視野に飛び込んできた。

空から見えた!鄭成功の道
しばし感動して、風景に見とれる。
シャッターチャンスを逃して、あわてて撮ったのが上の写真。たった三日間であったが、良い経験ばかりであった今回の台南滞在。
眼前に広がる風景のご褒美は、台湾からの別れのあいさつというより、
また戻ってくるようにとの、催促のように感じた。
おわり。


コメント