中国とのご縁
思い返してみると、私と中国との関わりは2001年に始まっている。それ以前、技術者としての仕事の上で海外といえば、アメリカ以外になかった。外国語と言えば英語のことであり、これをマスターするために懸命であった。英語、国際会計、原価計算がビジネスマン三種の神器と言われた時代だ。そして大袈裟に言えば、私の人生の中では、以後も中国との関わりなど公的私的を問わずあるとは考えていなかった。あってほしくもなかった。
90年前後だろうか。日経新聞の記事をまとめた「中国が日本を超える日」という本をタイトルに惹かれて読んだ。一般的には、ジャパンアズナンバーワンの威光は、多少くすみつつあった時代であったが、さりとてあの中国ごときに超えられるなど、頭ではなんとなく理解しつつも、受け入れようとする人は少数派ではなかったか。今は昔、である。
21世紀と到来と前後して、ビジネスの世界では、中国市場というものがクローズアップされてきた。今後、世界の工場は中国になると言われた。会社でもミレニアムプロジェクトとして中国南通に生産拠点をかまえることが決まりつつあった。
雲南省昆明での学会、展示会参加へ

準備した展示ブース
2001年10月、ちょうどその年に私の専門分野であった放射線硬化技術に関する、学会・展示会が中国雲南省は昆明で開催されることになった。私はこれに参加した。世間知らずの理科系人間の私が、新しい世紀のビジネスは中国を攻めよ、という世の中の論調に踊らされたのかどうか。実際のところそれほど思慮もなかったとは思う、ともあれ良い機会ではないかと考えた。
会社として中国昆明で開催される学会会場に展示ブースを構えることを提案し、あっさり認められ、中国行きが決まった。私にとって初めての仕事上の出張が、アメリカやヨーロッパではなく、中国、そして中国といっても上海や北京ではなく、雲南省昆明市であった。
初めての中国、昆明
今なら大阪きらでも東京からでも昆明行きは一度上海あたりを経由して行く。当時は大阪から昆明への直行便というのがあった。だから私にとって初めての中国は、正真正銘、昆明なのだ。関空をたって6時間、眼下に見た赤い大地は今でも脳裏に焼き付いている。
当時、会社員にとっての学会参加出張、しかも海外というのは、ゆるい部分が多かった。つまり日常のハードワークをしばし離れ、物見遊山気分で出かけることができたと記憶している。空港には、商社の現地駐在員が出迎えにきており、そのままホテルへ。ホテルは学会会場のBank Hotelなるところだったと記憶している。
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左:会場のBANK HOTEL前、右:新旧が交錯する昆明の街(2001年10月)
チェックイン後はその現地駐在員のアテンドで、現地の高級料理店へ。夜は、確か劇場のようなところで民族のダンスショーを見せてもらったのを覚えている。京都から出かけたのは私と、若手の研究者の二人であったが、中国語はもちろん、英語も心許ない。日本語、中国語、英語三カ国語に堪能な通訳者についてもらい、展示会前日には本社海外事業部の中国課から中国語学科を出た助っ人も駆けつけてくれた。要は、日本からきた二人はブースへの訪問者がどこの国の人間であろうと、通訳を通して日本語で然るべき説明をすれば良いというものだった。
2001年昆明市
10日間近く滞在したろうか。空き時間には、市内を観光者よろしく歩き回っていた。ときどき年配の男性がいわゆる人民服を着て歩いているのを見かけた。が、初めて見た昆明は想像以上に現代的な街だった。ホテルから歩いて行ける場所に、昆明初のケンタッキー(KFC)が開店したとかで、何度か出かけた。押すなおすなの大盛況であったことが、印象に残っている。
ポストカンファレンスツアー 石林観光
学会、展示会の終了し打ち上げを行った翌日はカンファレンスツアーと銘打った、半日ツアーがあり参加した。石林というカルスト地形の有名な観光スポットへ各国の参加者と一緒に行った。遊びか仕事かわからないぐらいであったが、バブル期の雰囲気を引きずっていたと言えるのではないか。

石林
街道をゆく
最初にも書いたが、それまで、中国という国に、さしたる関心もなかった私だが昆明へ行くということで、多少予習をと技術関係の書類に混ぜて司馬遼太郎「街道をゆく、蜀と雲南のみち」を携行した。現地で読む「雲南のみち」は実に面白かった。「街道をゆく」については大学院生時代週刊朝日に連載されていたので、たまに読んではいたが、多くは、世の中を知らない学生身分にとってはいろんな意味で難解で、こういうエッセイはある程度、年をとってからゆっくり読むもんだと思っていたし、本当にそう考えていた。年を経て、しかも司馬遼太郎さんが行ったその地昆明で雲南のみちを読み、私はすっかり司馬遼太郎ファンになった。
あれからほぼ四半世紀。今、中国に住みまもなく5000日を迎える。そして趣味と言えば「街道をゆく」を携え、各地を旅行すること。そういう自分のルーツは21世紀の初年、初めて行った中国は雲南省昆明にある。

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