人名(日本人)由来の言葉を集めました。
のろま
動作が鈍い(こと/人)、気の利かない(こと/人)
寛文・延宝(1661~81)年間の人形遣い野呂松勘兵衛という人が使った、愚かな顔つきの人形から。
これでこっけいな狂言を演じたので、愚か者を表すようになりました。
ただし「のろい(鈍い)」という形容詞は別語源(不明)で元からあったようです。
のろま人形を使う人形芝居は、現在新潟県佐渡に残っており、のろま人形は佐渡のお土産として広く知られています。
だて(伊達)
威勢のいいところを見せびらかすこと、かっこうよく見せること〔伊達マスク〕
戦国~江戸期の仙台藩の大名伊達政宗(1568-1636年)が上洛の際、仙台藩の武士たちのいでたちがひときわ華やかであったので、彼らを「だて」と評したというのが語源とよく言われていますが、実は「だて」はもっと以前からあった言葉。
もともとは接尾語で「誇張してひけらかす」の意味をなすもので「善人だて」「知恵だて」「キリシタンだて」のように使われました。
この言葉は「立て」つまり「人目に立つ」というのが、本当の「伊達」の語源のようです。
川柳
五七五の三句から成る、こっけい・風刺などをよむ短詩。
この短詩形式は最初「前句(付け)」と呼ばれていた。柄井川柳(1718-1790年)は江戸中期の点者(連歌・俳諧などを評価して点をつける人)、彼は最も高名な点者で、柄井川柳の選んだ句は「川柳点」と呼ばれるようになり、これが略されて「川柳」となったそうです。
ちなみに、当時の名川柳と言われているのが次のもの
「仰向いて 搗屋(つきや)秋刀魚(さんま)を ぶつり食ひ」
「搗屋」は「月夜」にかかっているのでしょうか。よくわかりませんが、リズムがあってこっけいな中にも情緒が感じられますね。
どざえもん(土左衛門)
おぼれて死んだ人、水死体
江戸時代の力士、成瀬川土左衛門の名から。彼が色白で太っていたため、溺死してふくれた死体を「土左衛門のようだ」といったことから、水死体の隠語をして使われるようになったというのが一つの説。
もうひとつは、相撲取り「土左衛門」は「土仏(どぶつ)」の音から変化したというもの。「土仏」は中世からあり「布袋」像が多かった。布袋が太っていることから、醜く太っていることを「土仏」といい、そこから「ふくれた水死体」を表す言葉に変化したというものです。
いずれにしても最近ではあまり使わなくなった言葉です。(普通の人は見ることもありません。)
やまかん
根拠のない判断、あてずっぽ
『大言海』には「昔の軍略家、山本勘助の略称にして、他人を謀にかけてごまかす意」とあり、戦国時代の名将武田信玄(1521-1573年)の参謀として軍略に長けていた山本勘助(1493-1561年)の名からとよく言われます。
しかし、最近の三省堂国語辞典第八版では「山本勘助の名からという説はこじつけ」と、はっきり否定しています。
今は「やまかん」の「やま」は山、「山を当てる」「山を張る」などの「山」であって、もとは鉱山。「山かん」は鉱山などを発見する特殊な直感を指していました。しかし、その直感はしばしば外れたので、あてずっぽという意味に使われるようになったものと考えられています。
市松模様
黒と白など、二つの色の四角形をたがいちがいに並べた模様。
こちらは正真正銘、人名由来の言葉です。
江戸中期の人気歌舞伎役者、佐野川市松(1722-62年)が、1741年江戸中村座で演じた《高野心中》の粂之介で,その衣装に用いた石畳の模様が〈市松模様〉と呼ばれ、今日まで残っています。
今でいうイケメンの彼は女性に大人気で、浮世絵としてもよく取り上げられたそうです。
ゆきひら(行平、雪平)
アルミや陶器で作った、片手の平たい鍋。粥などを煮る時に使う。
在原行平(ゆきひら)(818-893年)は平安時代前期の歌人、百人一首「ちはやぶる~」の歌で有名な在原業平のお兄さんです。
理由はよくわかりませんが文徳天皇のとき須磨に蟄居させられますが、その時、海女(あま)に潮水を汲ませて平たい鍋で塩をやいたという故事にちなんでいます。
能「松風」は、須磨に流された貴公子と海人との深交の物語で、行平の故事がベースになっています。
尚、行平は「雪のような白い塩ができた」ということから「雪平」と書くこともあります。
友禅染
小紋の染色法の一種。多くの色を使って写実的に染め上げるもの
江戸中期に京都で活躍した染物絵師、宮崎友禅(1654-1736年)が創始したことからこう呼ばれています。
花鳥、草木、山水などの模様を鮮やかに染め出したもので人気を博しました。
以上、新明解語源辞典(三省堂)、新版〈目からウロコの〉語源辞典(学研)などを参考にさせていただきました。
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