中国5000日(2)長江のどまんなかで三体問題

懐かしの長江フェリー 

 翌日の鎮江は、今にも雨が降りそうな空模様。チェックアウトタイムぎりぎりの十二時にホテルを出た。バスを乗り継ぎ、フェリー乗り場へ向かう。最寄りと思われるバス停を降りてからも、かなり歩いた。最後の500メートルあまりは、もうもうたる砂煙を巻き上げて道路を爆走するトラックの列の横を歩く。やがて、懐かしいフェリーが見えた。20年前、始めて中国に来た時に、上海から南通へ向かう際に乗ったあのフェリーと確かに同型である。

20年前  

 2004年、秋から冬にかけての季節、海外事業部の中国子会社担当として、始めて中国を訪れた。現在、例えば上海虹橋国際空港から南通市中心へ向かう時、長江にかかる蘇通大橋を渡るので1時間少しで到着する。以前はフェリーの待ち時間なども含めて倍以上はかかった。しかし、20004年当時はやがて開通する蘇通大橋によるアクセスの改善とその後の発展を見込んで、多くの日系企業が南通開発区に進出しようとしており、私もまたそういう会社の一つで中国に会社を設立する業務に携わっていた。

2004年、初めての中国

 「南通へはフェリー出行く」 と聞いていたので、「さんふらわあ」のような立派な船を想像していた。そういう想像をした者の目には、初めて見た長江フェリーは、筏(いかだ)のように見えた。筏の前後に車の乗り降りのための昇降式のフタのようなものがついており、中央の出っ張りは、3階建てに相当する場所が操舵室になるよう筏をまたいでおり、かろうじて船としての外観を取り繕っているといった風情である。船は前後に進むことしか想定していないようだ。しかし、よく考えてみれば実によくできている。この船は、言ってみれば、長さ30メートルの道路を川に浮かべて前後に動くようにしたものであり、効率の良い、究極の渡し船なのだと感心した覚えがある。

真横からみた長江フェリー

真横からみた長江フェリー

  中国の第一印象としては、その時の情景しか思い出せない。他にも印象的なことはあっただろうが、長江フェリーの印象が強すぎた。その20年前のあの船に再会できた。

20年ぶりに乗ってみた長江フェリー

 艦橋に立って往復小一時間の長江遊覧が往復6元とは確かにコスパ最高である。もちろん本来は車、トラックごと乗り込む客のためのものであるが、人だけで利用する客も10名程度はいた。ただ対岸に着いたら即、引き返すのは私一人であった。見晴らしの良い艦橋に立って眺める長江や船の往来はなかなかのものである。
 船は、かつて思ったように前後にのみ動くかというと、とんでもない。この片道7キロ程度の往復航路内におそらく5、6隻の同型のフェリーが同時に行き来しており、船は十分ぐらいおきに発着しせっせと車を運んでいる。

揚州側波止場の長江フェリー

揚州側波止場の長江フェリー

 波止場には常時2~3隻のフェリーが停泊し、行き違いには、お互いが衝突しないよう臨機応変うまく進路を調整しなければならない。もちろんそればかりではない。何よりもこの川は南北に横切る船よりも、東西に移動する船の交通量が圧倒的に多い。混雑した道路を自転車で横断するようなことを想像してみればよい。結果、フェリーは往来する船の合間を縫うように、時には蛇行して運航している。

長江のどまんなかで思ったこと

 長々と書いてきたが、今回私が経験したことで、お伝えしたいことは次のことだ。
目の前の視界に2隻以上の船が見える時、不思議な感覚に襲われた。自分の乗る船もおそらく、曲線を描いて進んでいる。目の前の、例えば二隻の船は、頭の中では船首の方向に進んでいると考えるのだが、自分から見て、どちら側に進んでいるのか、そして自分の船が目の前の船に近づいているのか、あるいは離れようとしているのか、それすらわからない瞬間がある。
窓外の列車が動き出したと思ったら、実はこちらの方が動いていたということを誰もが経験したことがあると思うが、その感覚が二次元版になったものと言えばわかっていただけるかもしれない。一瞬ではあるが、自分の動きも、相手の動きも読めないという不思議な感覚を覚えた。

交錯する長江の船

交錯する長江の船

話しは少し飛躍しますが…

 海外で長く生活するということは、こういうことではないか。と、突然思った。例えば常に日本で暮らしていれば、私たちは自分と日本という二点間の関連性の中で生きていくことになる。日本という社会が変化する中で、それにつれ、成長し、変化していく自分を認識し、アイデンティティが生まれてくる。変数は二つ、というよりも実は、個人は社会とシンクロしている場合が多い。ここに中国という新たな場が加わると、実は想像以上に難しい。考えるおじさんまずはシンクロが解除される。日本も中国も独立した変数となる。自分の考え方も日々の生活の中で目まぐるしく変化するなかで、祖国日本や、変化する中国という国を見続けなければならない。そういう、永遠に解けない三体問題のような様相を呈してくる。
 よく言われるように、今日中両国のお互いの国民感情は悪い。以前は中国が好きだったが、嫌いになったという日本人は非常に多い。中国に暮らし、中国の友人も多い私も、実は中国という国そのものに関しては、事あるごとに、残念だと思うことが多くなってきた。しかし、そう易々と意見、立場を翻すわけにはいかない。生活の主たる場が、長く中国であった自分である。例えばどの座標からみて、中国が以前と比べてどうなった、たから、という基準点をしっかり見定めたうえで中国という巨大な国をもう一度考え直してみたい。
考え直しても、自分のような人間に解を探し当てる力はない。せめて初心にかえり、自分の歩んできた中国での5000日を振り返り、自分なりの近似解を探っていきたい。それが、これから断続的に書きつなぐ文章の主旨である。

(続く)

 

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