【語源】もとをただせば漢籍からきた日本語

漢籍からきた日本語
漢籍からきた日本語

 もちろん日本語の多くは中国からやってきたのですが、一見もとから日本にあるように思える言葉でも、もとをただせば由緒ある漢籍中からというものも少なくありません。そんな言葉を集めました。

孫の手(まごのて)

孫の手:先が手首の形になっており、背中など手の届かないところを掻く道具
孫の手

孫の手

麻姑

麻姑


おじいちゃん、おばあちゃんが痒い背中を孫に掻いてもらう情景が目に浮かびます。そして、孫がいないときはこれを使おうということで「孫の手」というと思いきや、
 「孫」は完全な当て字だそうです。後漢の時代、姑余山(こよさん)というところで仙人になる道を修めた伝説の仙女の「麻姑(まこ)」という人の手のことを指したと言います。
 麻姑さんは右の絵のように爪が長く、彼女に痒い所を掻いてもらうと非常によい気持ちであったそうです。
 

せっかく(折角)

せっかく:=わざわざ、つとめて(特別に努力して動作をする様を表わす)
郭泰

郭泰


 「せっかく早く来たのに中止になった」のように、主に特別な努力がかなえられない時使う言葉です。
 これも後漢時代の学者の「郭泰」さんと言う人が外出中に雨が降り出し、かぶっていた頭巾の端が折れてしまったのですが、郭泰さんは皆に慕われる大人気の人物であったため、皆はわざわざ自分の頭巾の「角を折って」その真似をしたそうです。
 その故事からわざわざすることを「角を折る」→「折角(せっかく)」と言うようになったそうです。

ひそみにならう(顰に倣う)

ひそみにならう:①良し悪しを考えず、ただ人真似をする。②人にならって何かをすることを謙遜して言う。

 

西施

西施

こちらの方は「东施效颦」という成語で有名ですが、上の「せっかく」とよく似た由来の言葉なので合わせて紹介しておきます。

 春秋時代の「臥薪嘗胆」の故事でも有名な越王勾践(こうせん)と呉王夫差(ふさ)の物語にさかのぼります。夫差に敗れた勾践が献じたのが中国四大美女の一人と言われる西施です。夫差は西施の色香に溺れ、とうとう国を傾けたというお話。

 その西施が胸の病気のために顰めた顔がまた一段と美しかったそうです。それを見ていた東施という醜い女がまねて気味悪がられたという話から「东施效颦」という成語が生まれ、日本へやってきて「顰に倣う」という言葉になったということです。

さた(沙汰)

さた(沙汰):物事の是非を選び分けて正しく処理すること
 
砂金とり

砂金とり


「沙」は「砂」のこと。「汰」は「淘汰」の「汰」ですから選び分けるということ。つまり、砂をすくって篩(ふるい)でゆすって、砂金と砂に分けるということから、価値あるものと無価値なものを選り分けるという意味に使われるようになりました。
 評定、裁断、あるいは処置、たよりの意味にも転じました。
 「地獄の沙汰」とは地獄にいる閻魔様の判決。「追って沙汰する」と言われたら命令を待ちましょう。待っても来ないたよりは「無沙汰」で久しぶりに会えば「ご無沙汰しました」と言います。

せっかん(折檻)

せっかん:厳しく叱ること、責めさいなむこと
折檻

折檻


 前漢の朱雲という人が、皇帝である成帝に諫言(かんげん)、つまりあやまりを正そうと意見をしたそうです。すると、皇帝の怒りを受け宮廷から引きずり出されようとしました。
 朱雲はあきらめず、檻(手すりのようなもの)にしがみついてその場にとどまろうとしました。結果、檻は折れてしまったというお話。
 もとは①厳しく叱ること、②責めさいなむことの二つの意味で用いられていましたが、現在はほとんど②の意味で使われます。

ぎゅうじる(牛耳る)

ぎゅうじる(牛耳る):組織を自分の思うままに動かす
ぎゅうじる

牛耳る

 「牛の耳」を動詞化して「牛耳る」という言葉にしているのがおもしろいですね。

 さて「牛の耳」です。もとは春秋戦国時代、国と国とが同盟を結ぶ時、お互いの信頼を強めるため盟主はお互いに生きた牛の耳をちぎり、その血をすすって同盟を誓い合ったといいます。

 そんな故事から同盟の盟主になることを「牛耳をとる」と言い、それが転じて組織などを実力で支配する意味になりました。

赤い糸で結ばれる(赤縄)

赤縄(せきじょう):夫婦の縁 

 「運命の赤い糸で結ばれた二人」などという言い方をよくしますが、これももともとは唐の時代の「続玄怪禄」の中の「定婚店」にある故事だそうです。「夫婦となるべき男女は、早くから目に見えない赤い縄でお互いの足がつながれており、どんなに避けようとしても結局は結ばれることになる」というもの。

 この赤い糸で繋がれると仇同士ても離れられなくなるということで、ロマンチックというよりむしろ凄まじいですね。

 日本人の中には、太宰治の「思い出」の中で青森港で太宰が弟に語って聞かせる話としてこの話を知ったという人も多いはず。

 秋のはじめの或る月のない夜に、私たちは港の桟橋へ出て、海峡を渡ってくるいい風にはたはたと吹かれながら、赤い糸について話し合った。それはいつか学校の国語の教師が授業中に生徒へ語って聞かせたことであって、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い糸が結ばれていて、それがするすると長く伸びて一方の端がきっと或る女の子の同じ足指に結びつけられているのである、二人がどんなに離れていてもその糸は切れない、どんなに近づいても、たとえ往来で遭ってもその縁はこんぐらかることがない、そうして私たちはその女の子を嫁にもらうことに決まっているのである。太宰治「思い出」1933年

 青森県の青森港には青森と函館の友好を祈念し、お互いの足を赤い糸で結んだ男の子と女の子の像「赤い糸のモニュメント」が函館の方向を向いてたっています。

青森港の「赤い糸のモニュメント」

青森港の「赤い糸のモニュメント」

(以上、「ことばの道草」岩波書店辞典編集部編、精選版日本国語大辞典 などを参考にさせていただきました)

 

 

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