存在場所の「に」と動作場所の「で」
基本は存在する場所を表す時に「に」を使い、動作の場所を表す時に「で」を使います。
- 先生は日本語広場の部屋にいます。
- 先生は日本語広場の部屋で本を読んでいます。
「に」と「で」については以下記事でも基本的な整理を行っています。
「います、あります」は「に」、それ以外は「で」?
存在を表す代表的な文末表現は「います、あります」ですから、述部が「います、あります」なら必ず「に」なのかというと実はそうでもありませんね。例えば
- 上海でコンサートがあります。
この場合の「あります」は存在を表すのではなく、「開催される」という意味ですから「動作」になります。
「庭に木を植える」と「庭で木を植える」
「庭に木を植える」と「庭で木を植える」はどちらも成立します。「木を植える」という動作をする場所が「庭」であることを表すと「庭で木を植える」ですが、「植える」という行為の「到達点(行われる場所)」を「庭」とすると「庭に木を植える」となります。
「庭に木を植える」の「に」は「存在」ではなく「上海に行く」のように「到達点」を表す「に」なのです。
「存在」を表す「に」ということであれば、
- 庭に木がある。
です。また上記二つの文の違いは「で」格の「庭で木を植える」の方は、とにかく動作をすればよいのですから、極端な場合は植木鉢に木を植えて他の場所に持っていくという動作の場合も成り立つということになります。
「に」と「で」の区別をより正確に言うと、
「存在」とはどのようなものか?
では「存在」とはどういうことなのかということを考えていきましょう。「いる、ある」以外に例えば「私は南通市に住んでいる」などある種の動詞の「~ている」「~てある」が存在を示すようです。
- 私は南通市に(いる、住んでいる、住む)
- 男の子が砂浜に(いる、立っている、立つ)
- 机の上にみかんが(ある、置いてある、置く)
上の3つの例では、例えば「私は南通市にいる」、「私は南通市に住んでいる」、「私は南通市に住む」は意味的にはほぼ(完全ではありませんが)同義です。
- 男の子が公園で遊んでいる。
なら「遊んでいる」を「遊ぶ」と「いる」に分割して「男の子が公園で遊ぶ」と「男の子が公園でいる×」とするとそもそも「公園でいる」が成立しないと同時に意味も変わってきます。
「住んでいる」「立っている」「置いてある」などの「存在」を表す一連の動詞を違い「遊んでいる」「降っている」では意味の中心が動作を示す「遊ぶ」「降る」の方にあるため、「に」ではなく「で」が使われるということになります。
(以上 一歩進んだ日本語文法の教え方1 庵巧雄著 くろしお出版刊などを参考にさせていただきました。)
コメント