山陰の旅2020年(三)安来から出雲大社、さらに西へ。

出雲大社キャッチessay
出雲大社キャッチ

日本旅館で朝食を。

   現役時代、仕事では京都、東京間を100回以上往復している。宿泊出張も多かったはずだが、泊まったホテルに関する記憶がほとんどない。ビジネスホテルというのは無個性をもって良しとする、のだろうか。

 が、旅館の場合は逆である。長く記憶に残る。第一に通常宿の主人となんらかの会話をする。もちろんたいして意味のない世間話だが、土地の人との短い会話はなかなかいい具合に旅の気分を高揚させてくれる。

 朝食も楽しみだ。筆者は日頃朝食をあまり食べないが、旅に出るとなぜか食欲が出る。

安来「朝日屋」さんでいただいた朝食

安来「朝日屋」さんでいただいた朝食

 日本人にはこういう小皿がたくさん並んでいるのがたまらない。よく見れば特に特徴のあるものではないが、なかなかの御馳走に見える。

 五木寛之だったか、世界各国美味しい料理はあるが、基本その国でいちばんの美味は朝食にあるとおっしゃる。中国南部では饅頭(肉まんの類)、油条(ヨウティア)と豆乳なのだろうか。確かにおいしい。日本の朝食は外国の人々にどう思われているのだろう。

出雲大社へ

斐伊川(ひいがわ)

 安来から西へ向かう。出雲大社へ行くことにする。途中「斐伊川(ひいがわ)」を渡る。慌てて写真に撮ったのが下の写真だ。

斐伊川(ひいがわ)

斐伊川(ひいがわ)

 実物はもっと赤く見えた。酸化鉄成分が多いせいである。この辺り製鉄用の砂鉄がよく採れた地域であることもよくわかる。

 実は、斐伊川の表示を見て思い出したのは、日本神話の「ヤマタノオロチ(八岐大蛇)」伝説である。

ヤマタノオロチとスサノオ

ヤマタノオロチとスサノオ

 古事記、日本書紀の登場人物が、それぞれ実在の何を象徴しているかというのはわからない。わかっていないからそのあたり想像してみるのが面白いのだ。

 ヤマタノオロチは山の中でたたら製鉄を営む独立勢力のことだという説もある。乱暴者の彼らをスサノオ(素戔嗚)が退治した物語が「ヤマタノオロチ伝説」だという。

 また別の説で、八つ頭のあるヤマタノオロチは、時に水害をもたらした斐伊川の激流を指したというのをどこかで読んだことがあった。

 実物の斐伊川を見ると、確かにそういう考えがあってもおかしくないと思えた。流れの具合で砂州の様子が変化する様が物の怪に見えてもおかしくない。

 出雲市駅からバスに乗り出雲大社に着く。

 出雲大社は2度目である。一度目は確か大学生活の最終年次であったからすでに40年経っている。友人と2人で車に乗り込み山陰の海岸で泳ごうというものだったような。

 当時は特に出雲大社を目指したわけでなく、いくつかの名も知らぬ海岸、岬などをめぐりながら、なんとなく、おお、ここがあの有名な出雲大社か?というような訪れ方であったように記憶している。

 若者の旅とはそういうものだ。突如なにものかに出くわす。それが本来の旅であり、旅の意義ではないか?

グランドキャニオンの思い出

 話が飛ぶが、1996年のこと。会社でもそろそろ役付きの身分になろうかという頃、アメリカ、ヨーロッパなどを中心に何度か研修旅行に行かせてもらった記憶がある。アメリカアナハイムの学会に参加した週末、1dayツアーを見つけてグランドキャニオンを見に行った。

 ロサンゼルスから10人乗りの小型飛行機で往復する。

 めっぽう疲れた記憶がある。グランドキャニオンの風景を見て実はあまり感動しなかった。第一印象は「なるほど、写真と同じだ」である。

グランドキャニオン

グランドキャニオン

 その光景があまりにも現実離れしていたために、写真のように目に映ったのもある。しかし、眼前の光景は予想と寸分たがわなかった。あるべきものがそこにあれば、それは新たな発見、経験ではなく確認にすぎない

 もしこれが、長い見通しのきかない山道を歩き続けた末に突如眼前に広がった道の風景であれば、その感動はいかばかりであったろう。

 発見があってこそ旅である。人生もまたしかり、である。

若者よ、旅に出よ

 人生はパンフレット通りの旅であってはならない。

 いい大学に入りました、いい会社に就職しました、人並みに結婚しました。子どもができました、それなりお金も貯まりました、というような予想し得る人生の道を目標とした時、その目標が達成されても自分の心の中には確認作業しかない。

 たとえグランドキャニオンのような壮大な景色を目指したとしても、予想されうるものであるなら、目的を達成しても、その後一種の空虚感に包まれるはずだ。極端なことを言えば、生きてきたという実感は生まれない。

人生

 冒険をしろというのでもない。平凡な生活の中に生きていてもよい。その中で、あるいは自分の中で、常に新しい地平を作り、その向こうにある未知を見つけ出そうとする心を、私は若者に期待したい。そしてその心を一生涯持ち続けてほしいと強く思う。

 具体的な結論でなく申しわけないが、経験を経て来たものとして上のことを痛感する。

出雲、因幡の白兎、オオクニヌシノミコト(大国主命)

 なにせ40年ぶりであるから過去の記憶はほとんどない。しかし出雲大社のシンボルともいえる大注連縄(しめなわ)はかすかに見たという記憶が残っている。

出雲大社の大注連縄

出雲大社の大注連縄

イザナギとイザナミ

イザナギとイザナミ

 出雲大社はオオクニヌシノミコト(大国主命)を祀る。もう一つ日本人が大切にする三重県の伊勢神宮はアマテラスオオミカミ(天照大神)を祀る。この辺りのおおよその関係は日本語を学習する外国の人達は知っておいた方がよい。

 古事記、日本書紀によると日本列島は、天から降臨したイザナギ(伊邪那岐)イザナミ(伊邪那美)夫婦によって作られた。

 夫婦は多くの子(神)を生んだが、最終的にイザナギから、アマテラス(天照大神)、ツクヨミ、スサノオ(素戔嗚)3兄弟が生まれ日本の国家形成に力を尽くしている。

 アマテラスは天照と書くように太陽の神で、日本国の象徴として伊勢神宮に祀られている。スサノオ(素戔嗚)は乱暴者というイメージがあり、一種の治安維持のための軍隊の隊長のような神で、ヤマタノオロチを退治する有名である。ちなみに三兄弟の真ん中のツクヨミは「ツク=月」でアマテラスと逆の夜の神様だが、あまり出番はない(ようだ)。

因幡の白兎

 出雲大社のオオクニヌシノミコト(大国主命)はスサノオ(素戔嗚)の何代か後の子孫という。

 出雲大社を見て回る。大注連縄(おおしめなわ)は変わらないが、確実に依然と違うことがあった。そこらじゅうにこれでもかと思えるほど、比較的新しいウサギの石像で埋め尽くされていた。

 ざっと100体以上はあるだろうか。もちろんオオクニヌシノミコト(大国主命)と言えば、ウサギを助けた「因幡の白ウサギ」の話が日本人にとっては最も有名であるから、ということだろうが、少なくとも私の趣味には合わなかった。

出雲大社のウサギ石像

出雲大社のウサギ石像

 オオクニヌシ(大国主)のもう一つの話は「国譲り」。彼は出雲だか大和だかで国の統治を考えていたのだろうか。しかしアマテラス(天照)に国を譲ることを求められ、出雲大社と引き換えに国を譲るということになる。

 イザナギ、イザナミはともかく、アマテラス(天照)以下スサノオ(素戔嗚)、オオクニヌシ(大国主)そして、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)、白兎あたりの登場人物のふるまいは、当時のなんらかの出来事を物語の形で後世に伝えようとしたものに違いない。

因幡のシロウサギ

因幡のシロウサギ

 なぜそのような物語が生まれたかというと、やはり大陸から伝えられた製鉄が盛んになり、武器や農具や米つくりの効率も飛躍的に高まる中、渡来人を中心に争いの絶えぬ社会になったことがいくつものドラマを生んだのだろう。

 筆者の妄想では、ウサギやヤマタノオロチというのが、縄文人の血を継ぐ土着民で、アマテラス、スサノオ、オオクニヌシなどはすべて半島から技術をもってやって来たいわゆる渡来人のような気がする。

 想像は自由だ。とうてい真実にたどり着けないとわかっていても、曖昧さをむしろ愛し、それでいて考え続けることが大事だ。

わからないから、曖昧だからよいこともある

 先ほどこう言った。

 旅の目的は思いがけないものや人に出会うことにある。人生もまたしかり。
 そういう意味で、わけ知りの大人には本当の意味の旅はできない。「若者よ旅に出るべし」だ。そして真剣に考えても、たいていのことには正解はない。実はそれでよい。

 なんにでも白黒つけようとすると、結局なにごともうまくゆかない。私たちの人生もそうであり、国と国との関係もそうだろう。

出雲市から萩へ

 出雲から更に萩へ向かった。

 例えば京都から北陸へ向かう時、車窓から見える日本海の海は魅力的だ。そういう固定観念があったため、何の心の準備もなく単なる移動手段として山陰線に乗り込んだ。が、岡山県から山口県にかけ、車窓から見えた冬の海は時間と共に刻々とその色を変化させ、感動的なまでに美しかった。

出雲から萩へ、日本海の風景

出雲から萩へ、車窓から見た日本海

 なるほど、これでようやく旅らしい旅になったと、心の中でなんとなく納得した。

 

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